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2007年3月 9日 (金)

寛永寺

日曜のことをやっと金曜に書けるというのも忙しない話。

関東以西、汗ばむ陽気

ここ3日ほどはやっと3月上旬並ではあるが、週の頭は暑かったり突風が吹いたり夕立が来たりとメチャクチャであった。

先週、テレビで上野公園の大寒桜(オオカンザクラ)が満開、というのをやっていたので、日曜日思いつきで湯島へ。湯島天神へ行くと梅は散りかけ、なんか変な祭りをやっていた。そして、鈴なりの合格祈願の絵馬。携帯を四六時中いじり倒し、音楽ダウンロードだなんだという世代でも、神頼みは不変か。オイラは神頼みをすると自信がなくなりそうで嫌だったんだけどなぁ。

その後、SOFITEL TOKYOを左に見ながら不忍池を通って上野公園へ。今年解体ということだけど、あれを壊すのはなんか大変そうだなぁ。作るのも大変そうだけど。暖かいと聞いていたので薄着で出た、とはいえダウンを革ジャンに変えた位。日向を歩くと汗ばむので、ジャンパーを手に持って歩いていた。

上野公園の階段を上るとなるほど桜が満開である。大寒桜というのは初めて見たのだけど、色・花の大きさなどソメイヨシノと遜色ないキレイなものである。公園中央の噴水の周りにあると聞いていたので、噴水まで行った所がここにあったのは寒緋桜でハズレ。結局不忍池側で写真撮っておけばよかった。写真は寛永寺両大師の梅。

寛永寺といえば、上京したての頃、徳川家霊廟があるとのことで一度来たんだけど入れなくて(非公開)残念だったのを覚えている。そのときも徳川家霊廟という割には余りに貧弱な寺だったのが気になっていた。調べてみると、寛永寺は現在の上野公園以上の敷地面積を持ち、江戸時代は総本山であるはずの比叡山延暦寺をも支配下に置いていたとのこと。幕末に徳川慶喜が江戸城を退いたときに寛永寺にしばらく滞在したのだけど、そのときに佐幕派が集結し、新政府軍と戦争になったときにかなりの伽藍が失われたんだそうな。その後明治維新で徳川家の霊廟でもある寛永寺は実質解体されたっぽい。寺としてのホームページも存在しないね。

どうやら薩摩軍は穏やかに済ませたかったっぽいのだけど、尊皇攘夷の長州軍がちょっかい出して、それにまんまと乗った佐幕派が徹底的に叩かれたと。一緒に恨みつらみの徳川家の菩提寺もめったくたにしたと。その後復権はなっていないらしく、上野動物園の中に五重塔が残されていたりと伽藍は散逸したままだそうな。そういや明治天皇って、鎌倉時代まで遡って幕府に処罰された人間に冠位を与えたりしてるしな。

両大師を出てしばし考えて、浅草まで歩いてみることに。江戸の東側はほとんど歩いたことがないのだ。浅草通りを歩くと仏壇・仏具エリアに。通りの両サイドに10軒以上が軒を連ねている。こんなんで商売成り立つんかいなーと思いながら通り過ぎ、合羽橋の入り口から商店街を覗くも日曜はほとんどの店がやっていないようだ。

そうこうするうちに浅草到着。とたんにすごい人混み。一瞬で萎えて地下鉄で帰ろうかと思ったのだけど、池波正太郎ファンとしてはココまできたら大川を下って帰りたいもの。ということで、水上バスに乗ってみる。待合室で前に座った外国人がスペイン語を話しているのだけど、紙袋からプラスチックの刀と印籠のセットがのぞいているのが激しく気になる。

水上バスは涼しくてよかった(それだけかよ!)。まぁ一度乗ってみるといいんじゃないかな。何か混んでて騒がしくて案内のテープが良く聞こえなかったのは残念。後、ヒミコに乗りたい人は浅草橋からお台場行きに乗らなきゃダメみたいだ。オイラは日の出桟橋へ向かったので、残念。

永代橋の両側にも見事な桜が見えた。あれも大寒桜だそうな。

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