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2008年12月29日 (月)

Siem Reap

成田空港を飛び立って2時間ほど、機内サービスが終了した頃からぐんぐんと機内の温度が上がる。夕刻、Ho Chi Minh 空港に着いた時は気温29℃。ベトナムも北半球なので、今は冬である。でも半袖でも暑い。
そこから更に1時間飛んだところが Siem Reap(シェムリアップ)。1時間なので、東京=大阪ぐらいなものなのだけど、上昇中にシートベルトのサインが消え、サンドイッチのサービスがある。別に1時間の間にそんなにバタバタせんでもいいのに、と思うのだけどベトナム航空の誇りなのか。供されたサンドイッチを食い、カンボジアの入国書類を書いているとすぐにシートベルト着用サインが点いて着陸。タラップを降りて駐機場のアスファルトの上を歩きで入国手続きに向かうところは、昔出張で行ったスウェーデンのリンショーピンという田舎町を思い出させる。
シェムリアップ=「シャム+負けた」と言う意味のこの街は、シャム(タイ)に負けたのではなく、シャム負けたことを記念して名付けられたという街で、今ではアンコール遺跡の観光の為に栄えている街である。

平均月収$30(USD)と言われるカンボジアの中でも栄えている方だと言うのだけれども、市内には信号は5カ所。2年ほど前までは1つしかなかったという。オイラは初めての海外が香港であり、先日の仕事による韓国に次いで3度目のアジアの国だったのだが、交通マナーのおおらかさというか何というかにはびびった。ベトナムやインドでは普通なのかもしれないけれど、中央線は無く、曲がりたいときに曲がりたい方法で曲がる(交差点の50mほど手前から逆走とかアリ)、バイクの乗車人数の規定無し、ノンヘルOK、飲酒も事故らなきゃOKという国である。バイク5人乗りとか、3人乗りだけど真ん中のお婆ちゃんはバイクに横に腰掛けてる、子供を乗せた耕運機とすれ違う、なんていうカオスな図がそこらにあふれている。
また、道路は完全に舗装されているところはほとんど無く、交差点の中心が窪んでいたり、下水道が破裂しているのか道路一帯が悪臭を放つ液体で覆われていたりというのが街の中心部でも普通。12月は乾期なため昼夜を問わず砂埃が凄い。バイクに乗っている人は色とりどりのマスクをしていたりする。
ただ、道路沿いのホテルはどれも大きく、所謂リゾートホテルである。このギャップが不思議。特にSofitelのでかさと豪華さには目を見張る。


観光地には土産屋が軒を並べ、子供達がしつこく土産を売りに来る
この道路の舗装状態が標準

オイラも決して悪いホテルに泊まったわけでは無いのだけど、水道水は金属っぽい味がする。そのため煮沸しても日本人は飲めず、ミネラルウォーターを飲むことになる。ちなみに、水道や電気は街をちょっと外れると無くなってしまう。遺跡の地域には無い。皆、川やため池の水を使い、夜はロウソクで過ごすのだそうな。市内でもカフェにいたら停電して一気に気温上昇という経験をした。

食事は不味いわけでは無いが、何ともパンチが無い。隣国タイやベトナムのような特徴はなく、香辛料を中心として、ココナッツミルクでの雷魚や肉類の煮込みや炒め物といったところ。ただ、メチャクチャ辛いとかそういうこともないので、なんとも特徴がないのだ。日本人の男子だと苦手な人も多いかも。
物価は観光用の都市で観光用の店に入っているので(地元用の店は正直照明やら衛生面やら怖すぎる)、さほど安い訳でも無いが、それでも現在の円高と相まって日本よりはかなり割安感がある。通貨はUSD、cent の代わりに「リエル」という紙幣が使われる。1ドル=4400リエルだかなので、$3.75- の買い物をして5ドル紙幣を出すと、1ドル札と1000リエルが帰ってくる(端数はどっかに行ってしまう)。これが使いにくいのよな。

言葉はクメール語。ベトナム語の兄弟らしいが、クメール文字というミミズの這ったような字を使う。ぱっと見で発音も意味も分かるわけがない。観光地だと英語は通じるのだけど、訛りが凄い。普通の英語を使うのは公式観光ガイドぐらいかな。空港職員ですら訛ってたりするので、母国語でないオイラにはヒアリング大変。変に日本語混ぜてきたりするし。
オイラがチャーターした車の運ちゃんに至っては英語も出来なくて、とってもいい人だったのにコミュニケーションできなかった。最初に「しゅぴーくたいらん」と何度も言われたので何のことかと思ったら「タイ語は話せるか?」ということだったらしく、彼はタイ語とマレー語は出来るそうな。日本人にそれは期待しない方が良いと思うよっ


スーパーの袋
電話番号の数字までウニョウニョ

さて、なんでカンボジアが平均月収30ドルになったかというのは長い話になりそうなのだが、シアヌーク、ポル・ポト辺りをキーワードにおとーさん・おかーさんに聞いてみよう。
ざっくり、フランスが植民地(フランス領インドシナ)にしていたのだけど、日本軍が攻めてきたタイミングに王家が独立を宣言する。その後、大戦終了で日本軍が撤退すると再度フランスの植民地となるも、独立運動により独立、シアヌークの元で発展を続けていたのだが、ベトナム戦争に続きクーデターなどにより国内が混乱、米軍および南ベトナム軍が侵入し内戦状態に陥る。
ちなみに、今回の旅行で1日だけガイドをつけたのだけど、カンボジア人の彼はベトナム戦争のことを「ベトナムとアメリカの戦争」と言っていた。なるほど、と思ったものである。
その後、毛沢東主義に傾倒したポル・ポトによる急進的な共産主義化が行われ、国家による資産の没収と国民総農民化という政策が行われた。しかしながら4年でベトナム軍の侵略により失脚。この辺りには当時のソ連と中国の代理戦争的な側面もあるのだけれど、何せこの4年間で、飢饉や追放、虐殺などでカンボジアという国の生産力は大きく低下したとされる。その後、ポル・ポトはタイ方面に撤退するに当たり、一時シェムリアップからアンコール遺跡を本拠地とし、多くの仏像を破壊し、地雷を大量に埋設したのである。それ故、遺跡の多くの部分がこのときに破壊され失われた。

結局、1989年までベトナム軍は駐留を続け、1991年に正式に内戦が終了したのである。彼らの「戦後」は20年前に始まったと言えよう。

アンコール遺跡自体はベトナム戦争の頃から観光客が途絶え、辺りはジャングルのようになって樹木による破壊(ガジュマルは気根を地面に伸ばして途中にあるものに絡みついて絞め殺す)も進み、ポル・ポト派の拠点となったときに上述のように地雷が埋設され、戦闘により遺跡が破壊されるという憂き目にあった。そのため、多くの国々が協力して地雷撤去や遺跡の復興を今も行っているのである。テレビで日本チームの活動を見ることもあるのではないだろうか。地雷は今では観光地域には無いが、北方の遺跡の近くから山に入るとまだ地雷が残っているところがあるそうな。実際片足の人(子供含む)もちらほら見かける。

皮肉にも破壊神シヴァを祀った寺が多いのだけれども、実際の破壊は見るに堪えないものがあるのである。

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