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2009年4月 7日 (火)

菅田天神社

塩山に行った目的はもう一つ。塩山駅から徒歩5分ほどでいける菅田天神社なる神社。元は素戔嗚尊と、天照大神の子供である八神を祀っていたところに後付けで天神さんを持ってきたそうな。

で、何で行きたかったかというと、普通の人にはどうでもいいかもしれないけど、武田氏の家宝の一つ、楯無鎧があるから。公開されてないんだけどね。

元は八幡太郎と号する源義家が天皇に拝謁を許された記念に作らせた源氏八領と言われる鎧の一つと言われるけど、そのときの楯無と武田の楯無は別とも。一応、甲斐武田氏は義家の弟で新羅三郎と号した源義光を祖とした甲斐源氏の中で最終的に最有力となった家。まあ、新羅三郎もそもそも甲斐国に入ってないとかいう説もあったりするのでいい加減なもんだけど。何せ武田家的にはそういうつながりで源氏八領の楯無が伝わったということになっている。

武田家当主が家を継ぐときには楯無を着用することになっており、また出陣の際には「御旗、楯無(も)ご照覧あれ」と掛け声をかけて出たものだという。御旗ってのはもう一つの家宝である日章旗。
織田信長らの武田討伐を受け、穴山・小山田らの裏切りで窮地に陥った勝頼は嫡男に楯無を着せて当主とした後で共に自刃したと言われる。

ということで、楯無があるらしい社。シャッターまでついてて結構厳重。

江戸時代までは公開されていたのだけど、悪戯されたり壊されたり盗まれたり散々で明治以降は「もう見せてやんない!」と公開されていないそうな。あまり大きな神社ではないのだけど、神楽殿があったり、鬱蒼とした木立が雰囲気を出していて結構ちゃんとした造り。ただ、土曜の昼過ぎなのに参拝客はオイラのみ。一時は武田家の鬼門を抑えるということで大変な力を持っていたそうなのだが時代が変われば、というところか。


阿吽の狛犬

ちなみに神社の看板には甲府(甲斐府中)の鬼門とされているが、方角的にも武田信虎(信玄の親父)が躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移す前の本拠地であった石和の鬼門というのが正しいのではないかと思う。もしくは甲府盆地の鬼門かな。まあ、普通の人にはどうでもいいところですよ。一応天神さんなので信心深い人で試験を控えてる人とかにはいいかもね。

最後に手水のところに無造作に置いてあった箱。伊勢から下されてきたようなのだけど中身が気になる。

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