« Tour de France Etape 8 | トップページ | 睡眠不足解消 »

2010年7月12日 (月)

甲州街道 第5話

金曜昼まで、土曜の天気予報はかなりヤヴァそうであった。これは「もうやめとけ」という天のお告げかもしれんね、と。藤野って何よ?江戸から離れすぎだろ。今回流れたらもう参加は見合わせようかと密かに思っていたのでした。金曜夜も土砂降りだったし。

土曜の朝起きたら快晴。なにこれってぐらい快晴。仕方がないので出かける。8時半に家を出て四ッ谷駅で大月行き快速に乗る。中央線快速なんて高尾行きだろうが豊田行きだろうが何だろうが関係なかったんだけど、ここへ来て大月行きは神のような存在。1時間ほどで高尾、さらに13分で藤野。前回、小仏峠を越えて1日がかりで制覇した区間は13分である。


大月行き@藤野駅


何故か賑わってる藤野駅前

ということで藤野駅10時just着。観光案内所のトイレに寄ってからパーティに合流。今回のパーティは5人だが、何ということでしょう、東京1人+山梨4人という編成。東京1 がオイラね。俺様はどこから来てどこへ行くのか。アドルの気分である(分からない人はイースの2か3辺りをやってみよう)

今回、写真の選別が面倒くさくなったので写真多めで。


スタートしてすぐ。思えば遠くへ(ry


良すぎる天気


いきなりの山道。涼しい


出発から30分。良い眺め

さて、これまでは主催者のAさんが iPod touch に入れてきた地図を頼りに歩いていたのだけど、今回から新兵器登場である。


そんなときも大丈夫、iPad ならね

Nさんの iPad でひとしきり地図をみたAさんの名言。「iPad 使いにくいなぁ
その後も案外 iPod touch の方が重宝がられていたり。てか iPad って持って歩くにはちょっと重いよね。あ、いや、持って20km歩くにはちょっと重いよね。

1057 諏訪関跡。武田氏が築いたという関所だが、江戸時代には女性が江戸側に入る際に手形改めを行ったという。明治2年に廃されて、建物は王子の飛鳥山の渋沢栄一邸に移されたんだと。現在の飛鳥山公園の中の旧渋沢栄一邸は当時の敷地の3分の1という話で、諏訪関の建物はどこに行ったか分からないそうな。
ちなみに諏訪というのは諏訪市や諏訪湖で有名だが元々地名ではなくて諏訪大社と諏訪氏が元。この辺りから急に諏訪神社というのが増えてくるのだけど、これらは諏訪大社を勧請したもので、それに因んだ地名ではないだろうか。諏訪氏は諏訪大社の祭神であるタケミナカタの子孫を称しているのに曹洞宗という不思議な氏族で、そのせいか今回歩いたコース沿いには曹洞宗の寺院が多かった気がする。飽くまで気がするだけで統計取った訳じゃないよ。


1日1便のバス。通過予定時刻表というのが弱気

1135 上野原の街に入って74km標識。少し鄙びているが栄えている。前方を歩くうっかり八兵衛的な笠の男は気にしないで頂きたい。

1153 鶴川を渡る。昔は橋が無く渡しがあって、先の諏訪関の管轄だったそうな。イワナやアユが獲れるらしく釣り人が何人も川に入っていた。涼しそうだなぁ。
この鶴川は下流で相模川に合流する。町田にある鶴川は鶴見川に由来するということで無関係。
ここから中央道沿いに移動する。


日向のアスファルトは暑い


鉄塔っていいですね


アンテナっていいですね

1255 渋滞のメッカ談合坂SA(下り)を裏山側から見る。中々無い体験。この後、徒歩でSAに。この先死ぬまでに徒歩でサービスエリアに入る事ってあるのかしら?
結構混んでいたんだけど、13時に談合坂下りってこの先どうする人達なんだろう?長野へ行って1泊とか?
実は上り側のSAの方が施設が充実してるそうなんだけど、談合坂は下りと上りの場所がかなり離れているので、時刻とロケーションを考えて下り側。
このくそ暑いのに熱いものとか辛いものとか食えるか、ということで牛モツカレー800円を食す。期待に反して辛くも熱くもなかった。30分ほどで食べ終わって13時半頃東京側の入口脇から脱出。このSAは甲州街道の道中ではないので少し戻らねばならぬ。


何でもないけどタケミカヅチに惹かれて

この辺りからアスファルトを歩いては山道を登り、下り、アスファルトを歩き、ということを繰り返す。
もう何だか無限ループのようなのだけど、実は朝から一緒の方向に歩いているオッチャンがいて、このオッチャンと抜きつ抜かれつ(基本的にこちらが速いが飯食ったり旧道の山道歩いてる間に抜かれる)していて、逢う度に「いや、若いね」と同じ事を言われるのでもう本当に while(true){}; って感じ。


伝わるかどうか分からないけど結構怖い

確かこの辺りに「座頭転がし」という碑があって、休憩したのだけど、その時に背中を蚊じゃない何者かにやられて今も痒い。ガッツリ固く腫れてるの。ムヒ塗りにくいしムカつく。
「座頭転がし」というのを見て、姥捨て山の話とかしてたんだけど、別に人為的に転がした訳じゃなくて、目の見えない人が同伴者の声を頼りに歩いていたら、曲がりくねった急坂だったもんで真っ直ぐ歩いて転がり落ちたという話があるとかないとか。


前夜の大雨で少しぬかるみ気味


謎のアトラクション
ああ、笠被った人は気にしないで下さい

1504 日本橋から二十一里、20番目の恋塚の一里塚。日本橋から82.4km なんだそうな。一里(4km弱)ごとに塚を気付いて榎などを植えたというが、塚が残っているのを見たのは始めてかも。今回の道中も3つ4つ一里塚があったけどみんな看板とか道標だけ。これが江戸時代の原型をとどめているのかどうか知らないけど。しかし「恋塚」っていい名前ですね。ほら、あたしってロマンチストじゃないですかぁ~


多くの紫陽花はもう萎れてたけどたまに綺麗なのが

1511大月市に IN。そうそう、上野原は山梨なので、神奈川から山梨に入る感動的な瞬間があるかと思ったらいつの間にか入ってたのよね。ま、そんなもんです。大月は当然山梨。
何となくの山梨の感想は「参議院選挙の候補者が5人」「自販機はダイドーが多い」「ダイドーの自販機にはポイントカードがついている」。ポイントカードって東京の自販機にもあるのかなぁ?今度気にして見て見よう。
あ、そうだ、山梨はハローキティ好きとの話が出たので調べたら、サンリオの前身は株式会社山梨シルクセンターなんだそうな。元は県の外郭団体で創業者は県職員という話も。
サンリオ | サンリオのあゆみ
何でシルクなのか分からないが、シルクと聞くとミヤコと連想する俺様はやっぱり関西人だ。

この後も無限ループを繰り返し、旧道を歩いているところに何やら作業中の夫婦。Aさんが「ここ甲州街道であってますか?」と聞くと「あってますよ」。で、すぐ脇の石碑をさして「ほら」みたいな事を。見ると「南無妙法蓮華経」と彫られている。江戸時代に千葉から甲州街道を歩いてきて行き倒れた人がいたらしく、結構な身代の持ち主だったのか後から親族が来て石碑を建てたものなんだとか。それを聞かされてどうすればいいのかと。
ここの奥さんが話ついでに井戸水をどうぞと使わせてくれて皆ペットボトルに汲んだんだけど、オイラはダイドー自販機で買ったスポーツ飲料があったのでな。

この辺りからガンガン下る。下る途中にオバチャン2人組に「あらまぁ四方津から歩いてるの?」と言われて「えっと今日は藤野からかな?」と言うと「あらまぁー」と言われた。「あらまぁ」って何歳ぐらいから使用するのかしら。


1523 この旅初めての富士山。写真だとうっすら


随分遠くに見える高速道路


に10分後に着く

何せ凄い傾斜で一気に下るもので、足首から下へのダメージが半端無い(膝は伸ばさずに降りるとダメージ軽減できる)。ここまでに蓄積されたダメージもあって、みんな小走り気味。なんつーかブレーキかけるのが辛い。
下りに入る前には「これだと鳥沢に16時ですね、もう一駅行きます?」なんて言ってたのに、この下りで誰もそんなことを言わなくなった。


高速の次に中央線


ラストスパート

甲州市と甲府市が区別されるところまで来たんだなぁ。前にも書いたかも知れないけど、山梨県には他に甲斐市と山梨市と中央市があるそうで、さてどれが県庁所在地でしょー?

1602 予定通りに鳥沢駅。ろくに打ち上げを出来そうな店もないので、ここで解散。
電車は1時間に2本程度。次まで30分。下りは乗ろうと思えば乗れた時間だったんだけど、皆様待って下さった。数分して件のオッチャンがやってきて「いや、若いね」。
汗をふいて着替え、コンビニで発泡酒を買って飲む。喉が渇いて水のような勢いで飲んでしまった。

立川行きに乗って帰る。東京に近づくにつれ客層が変わるのが面白く、自分の存在が不思議に思えたのでした。「俺、なにやってんだろ?
次も行くのかなぁ。なんかここまで来ると貧乏性発揮というかなんというか。ここまで来たんだから、とディアゴスティーニにハマる人の心理が少し分かるような気がしてきたのでした。

|

« Tour de France Etape 8 | トップページ | 睡眠不足解消 »

」カテゴリの記事

甲州街道」カテゴリの記事

コメント

おつかれさまでした。
実は都内にはご存じの通り将門公の結界がありまして、鉄塔がないのです。あるエリアから内側は高圧が地下に潜ります。ですので案外珍しいのですよ。

「刺客」私も楽しみにしていたのに残念です。

投稿: しげお | 2010年7月13日 (火) 18:54

お疲れさまでした。そういえば「鉄塔とかアンテナをしきりに撮っていたな」と。東京にもあるのに。

ちなみに5番目の候補は大敗しておりました。写真を貼らないようじゃ仕方ない。

投稿: 青木@蔵 | 2010年7月13日 (火) 15:42

笠、アレゲですけど恥も外聞もなければ羨ましいです。帰って頭が痒いと思ったら日焼けしてましたし。

編み笠で着流しが普通な時代に戻りたいと少し思ったのでした。でも写真見るとどっちかというとベトナム系ですね(ぉ

投稿: しげお | 2010年7月13日 (火) 06:49

お疲れ様でした。
レポ、楽しくよませていただきました。
笠、アレゲですね。そりゃ白い目でみられるわ。

次回もお待ちしております。

投稿: tindharia | 2010年7月13日 (火) 00:02

> shun-san
セルフサービスでお願いします

>Masaki-san
お疲れ様でした。ああなるほど、お蚕さんでしたか。
口なしネコの化け物から絹織物は連想できませんでした。

投稿: しげお | 2010年7月12日 (月) 15:30

どうも、お疲れ様です。
レポートありがとうございます。

シルクセンターがどこにあったのか知らんのですが、山梨県は絹織物の生産が盛んだったですよ。戦前ぐらいまでですかねぇ。とくに昨日歩いた大月とか隣の都留とか。
だから?案外賑わっていて、あんな田舎なのに空襲されたりした?ようです。戦後は外国から安い…というお決まりのパターンで絹織物は衰退しましたが。

投稿: Masaki | 2010年7月12日 (月) 15:18

kento に語ってくださいw

投稿: shun | 2010年7月12日 (月) 14:24

孫に語って聞かせようと思います。
てかその前に子、ってか嫁。

投稿: しげお | 2010年7月12日 (月) 13:20

徒歩でSAはすごい。一生モノだとおもうw

投稿: ケイ | 2010年7月12日 (月) 13:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/232324/37750458

この記事へのトラックバック一覧です: 甲州街道 第5話:

« Tour de France Etape 8 | トップページ | 睡眠不足解消 »