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2011年9月 6日 (火)

越前・越中の道 (一乗谷)

ビジネスホテルの朝食を掻き込み、8時福井駅西口発のバスに乗るために朝の街を歩く。良い天気だ。

福井の駅前は視覚にハンディキャップを負った人々への考慮だろうが放送が五月蠅いぐらいに響く。「間もなく信号が変わります」「青になりました」「バスが参ります」ぐらいは良いのだけど、バスが到着してから出発するまでずっと系統と行き先を無限ループで流してるのは少々やりすぎな気が。
バスは街中を抜け、徐々に山の方へ向かって30分ほどで武家屋敷前。目的を同じくしていると思われる4人ぐらいで降り立つ。

一乗谷はその名の通り、2つの山並みに挟まれた一乗谷川の周囲に南北に開けた谷間であり、天然の要害とも言える場所を拓いて作られた朝倉氏の都である。
元は但馬の出と伝えられる朝倉氏は名族斯波氏の守護代として越前に下ったと言う。応仁の乱の混乱に乗じ、越前を貰うという条件で主家の斯波氏が属する西軍を裏切って東軍に付いた。所謂、下克上だ。朝倉孝景は主家の守護代との戦いを繰り返し、息子の氏景の代に越前を平定する。

この孝景から数えて5代、100年少しの都が一乗谷だと伝えられている(孝景以前から朝倉氏の本拠が一乗谷だったという説もあるらしい)。室町文化が栄え、京都から数々の文化人が訪れ、足利義昭(秋)が当時朝倉家臣の明智光秀と出会ったのも一乗谷である。しかしながら、浅井長政と結んで織田信長に反抗した朝倉義景は一乗谷を追われ、最終的に従兄弟の景鏡に裏切られて自害する。
義景が落ちた後の一乗谷に柴田勝家が火を放ったところ三日三晩燃え続けたという。その後、越前を与えられた勝家は本拠地を北の庄に置いたため、灰燼と化した一乗谷は放置された。主立った庭園跡が発掘されたのは昭和40年代に入ってからということで、実に400年近く放置されてきた訳である。

さて、バスを降りて他の客が辺りを見回しているところで行動開始。既に地図は頭に入っている。ってのも、帰りは前後2時間、都合4時間に1本しか無い電車に乗らなければならないのだ。迷子になってはいけない。

バスを降りてすぐに川を渡り遺跡を見て回る。遺跡と言ってもだだっ広い広場や、庭園の石組みの跡、柱の跡などだ。なんだかローマを彷彿とさせる。時代は随分違うが。
始発のバスでやってきたので当然誰も居ない。


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見てどう、という物でも無いが思いを馳せるのには良かろう。とりあえずぐるりと見て回ろうということで、一番高いところにありそうな英林塚を目指す。

麓は早朝の山間ということでかなり涼しく感じたのだけど、山道を登るとすぐに汗ばむ。先日の大菩薩峠と同じ感じだ。前日着た速乾性のTシャツを洗っておいて良かった。取り出して着替える。

ということで英林塚。一乗谷の初代孝景公の墓だが法名を取って英林と呼ばれる。というのも3代後に同じ孝景という名前の曾孫が現れるのだ。

まだ朝早いこともあって向かいの山に影が映る。足下に見えるのが朝倉館跡だ。

その片隅に朝倉義景の墓がある。本当の遺骸が入ってるかどうかは謎。少なくとも首級は景鏡によって信長に渡り頭蓋骨が金箔押しにされたはず。死後100年ほど経って松平氏の治世に造られたというから祠のような意味合いが強いのだろう。

一通り見終わって時計を見ると 0921。前日、居酒屋の女将が言っていた祭りの準備でテントの設営やら看板や幟の設置で慌ただしい。
道路を挟んで向かいに復元町並という有料の施設があるのだけど、何だか裏から見えてしまっているので入るのはやめた。座って扇子を使い、十分涼んだところで川沿いに下っていく。

館と一緒に燃え落ちたであろう寺の跡、家臣筆頭でありながら義景を見限って信長に降伏した朝倉景鏡の館跡などをつらつらと見ながら10時丁度に下木戸に至る。

これは城で言うところの大手門に当たるんだろうか。堀と石組みで関所のようになっており、道はクランク状になって直進できないようになっている。ここまでが一乗谷の遺跡と言えそうだ。

その後はJR一乗谷駅を目指す。途中案外立派な春日神社に立ち寄ってみたり。

福井松平家は初代の(結城)秀康が若くして病死したり、その後も藩主が自殺したりということが続いたので「これは朝倉義景の怨念に違いない」ってことで荒廃していた神社を七代目藩主が建て直したんだとか。柴田勝家はスルーかよ。

1022 線路に出た。越美北線(えつみほくせん)だが、何故か九頭竜線と呼ばれてるそうな。ややこしい。安心の単線です。

一乗谷川は足羽川に合流。足羽川は最終的に九頭竜川となって日本海へ流れ出す。

頭を垂れる稲穂の間の細道の先に

駅舎があります。間違い探しみたいだけど駅舎があるよ。

1030 一乗谷駅に着きました。多分、すたすた歩けば武家屋敷前から駅まで30〜40分じゃないかな。電車は1049発なので20分ほど潰すことに。
誰も居ない待合室に入って…と思ったらいきなり入口の上の方に蜘蛛の巣トラップが。まじすか。
で、待合室で靴脱いで靴下脱いで、上着替えてぼーっと目の前に広がる田んぼとか床に落ちた虫の死骸とかを眺めてたら20分が経過。

ポップな一両編成のキハ。乗り込むのは鉄オタっぽいおっちゃんと、地元の高校生らしき女の子。ドアは自分で開ける奴。といってもボタンを押すとかじゃ無くて、物理的に手で押し込んで開けるドア。公衆電話ボックスみたいなの。

運転席も不思議な作りだ。
これに揺られること20分弱で福井駅。同じホームで5分後のサンダーバードに乗り換える。

向かいのホームってだけでこのギャップは何でしょう?

ということで福井にサヨナラして金沢に向かいました。

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