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2011年9月13日 (火)

越前・越中の道 (野田山墓地)

とりあえず北陸やっつけておかないと大変だ。

金沢は見所たっぷりだ。が、今回の旅は永平寺がメイン(のつもりだった)、最終目的地は富山で金沢は通過点。

宿を出て特急バスなるもので金沢市街へ。上手く行けば広小路のバス停で3分の乗り換え時間があるけど無理かなー、と思ってたら無理だった。乗るときに3分遅れてたバスは取り戻すこと無く目的地へ。降りて目の前の交差点を曲がっていくバス。俺様が乗るはずだったバス。

次のバスでも大丈夫なように旅程を組んでいたけど、20分待つのはなぁ。どっか立ち寄るにも中途半端だし。ということでタクシーを止める。大人だな、俺。「野田山墓地まで」
タクシーは涼しくて良い。寺町というところを抜けていくが中々良い町並みだなぁ。涼しい季節で時間があればブラブラしてみたい気がする。「古い道と新しい道どっちにしますか?」と聞かれたけどよく分からないので「お任せします」と答えたら「じゃあどうせなら古い道で行きますかね」と住宅の間の細道へ。
バイパスのようなものが出来て随分交通量の多い道が出来たらしい。

野田山墓地の敷地内に入ってからも結構な距離を走る。そして登る。バスで来たらこれを歩いて登らなければならなかったのか、と思うとタクシーで良かったと思う。料金を支払い、御礼を言って降りる。

11時丁度、加賀藩主前田家墓所。

実はここから墓場の中を結構な距離歩く。墓は斜面に作られているので単なる山道みたいな感じ。まぁ野田山って言うぐらいだから当然か。

汗だくで上ること10分。2代目犬千代、前田利長の墓。びっくりしたのは墓のでかさと形。

あたかも天皇陵かのように柵で囲まれていて(写真は柵の間から)、墓自体は3段ぐらいの方形ピラミッド状。めっちゃでかい。大名や武将の墓は数々見てきたけどこんなデカいのは見たこと無い。敢えて言うなら東照宮の上の徳川家康の奴か。
利長は徳川に潰されそうになったのを必死こいて外交で凌ぎきって関ヶ原で東軍について加賀百万石の礎を築いた。晩年は高岡に移って街の発展の基礎を作ることとなったらしい。

そのちょっと先に真打ち、初代犬千代の墓。

利長のに輪をかけてデカい。利家については言わずもがな。ってか言うと長いしな。

お隣には大河ドラマで有名になったおまつさんの墓。利長の代に上述の通り前田家が潰されそうになったときに人質として江戸に送られ、利長が死ぬまで金沢に戻れなかったそうな。これが大名の嫁を人質として江戸に留め置くルールの起源だとか。嫁と言えば、利長の嫁は信長の娘でその墓もあった。豪姫の墓もあったそうだが見なかったな。

その他前田家代々の藩主とか奥さんとか殉死者の墓がずらずらっとあります。

が、写真は雑に。ってのがね、藪蚊がすんごいの。何て言うかな、節操ないというか賤しいというか、あの斑のシマシマの奴が3匹とか5匹とか群がってくるんですよ。虫除けスプレーしてたけど、汗をかく頭とか首とか腕とかにもうワラワラとね。従軍カメラマンのように写真を撮りながら急ぎ足に駆け下りて脱出しました。

下の方は一般の墓場みたいなんだけど、何か墓石が倒れてたりして妙にモコモコとした墓の跡と思しき地面に雑草が生い茂ってたりするゾーンもあって肝試しには良さそうだ。青山墓地とか見慣れてると区画が雑。

11時半過ぎに自衛隊駐屯地前のバス停。いやー、金沢って都会だなぁ。また来てみたいなぁと兼六園とか全部スルーしてバスで30分ほど。

金沢駅に着きました。北陸新幹線到着目指してど派手になってるようだけど、こんな凄い駅でも自動改札じゃないんだぜ。
これで金沢バイバイ。富山へ向かいます。

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