甲州街道

2011年9月12日 (月)

甲州街道Z 第3話

北陸の写真整理も出来てないのに、また小旅行に出てしまった。

面倒だから、見所少なかったから、分けずに一気に書くぞ。写真多いぞ。

7:20新宿発の例の高速バスに乗る。府中と小仏で渋滞が発生してると聞いたが大したことが無いだろうと思って寝て起きたら八王子の料金所だった。時計を見ると8時30分。全然動いてない。料金所の向こうがビクともしてない中、ETCのゲートに列が出来て「一般」のゲートが空いているって何かおかしいぞ。
抜けた後の表示は「勝沼まで90分」。この時点で1時間遅れ確定。小仏を越えて流れ出したと思ったら、運転手が「談合坂で休憩取ります」と。本来はオイラが降りる昭和を過ぎた後の双葉SAで休憩するのだが、渋滞で押したので休憩を前倒ししたようだ。

結果、到着したのは10時過ぎだったと思う。もう座り疲れて降りたところに丁度山梨組の皆さんが。Aさんの車ですずらんの里へ。現地集合のMさんのバイクを待って出発。

前回のゴール、神戸八幡(ごうどはちまん)の交差点に1142。もう昼やん。今回は距離が短いので何とかなるだろう。登りも少ないし。天気は最高。ってか暑い。

ほどなく御射山神戸の一里塚。日本橋から48個目なんだそうな。標高は917m。ケヤキが立派。樹齢380年以上と推定されるらしい。
この辺りでMさんが車に財布忘れたとのことで戻ると。もう一人のMさんも「ちょっとバイクの様子を見てくる」と死亡フラグを立てながら一緒に戻っていった。どうしましょうかね、どっかで昼食取りながら待ちますかね、とエプソン村を抜けて食べる場所を探す。何かエプソングループの運動会みたいなのやってた。

やたら鹿推しの店。残念ながら休業でした。一品料理出前するそうですよ。他にも独特の味のある看板が。

東京から187km。1224。その先に蕎麦屋の看板を見つけたので脇道に入ってみる。

農協の裏に蕎麦屋。オレンジ色の憎い奴が「肉食いたい」とか言うのをシカトして店内へ。ちなみにオレンジ色の人はFIFA World Cup 南ア大会のオランダ代表を見てオレンジ色を着ることにしたそうです。これ豆な。

勝山という蕎麦屋、手打ちの黒っぽい蕎麦が美味かったですよ。といいつつ、オイラは天丼にミニそばを付けたんだけど。
肉、肉言ってたオレンジャーはカツ丼を頼んでいた。ソースカツ丼かと思ったら、東京や関西で普通のカツ丼でした。山梨的には煮カツの丼らしい。メニューにも煮カツ定食があった。東京ならカツ煮だよな。ここでMさん2人と合流。

13時過ぎに出発。コスモスを見ると無性に写真を撮りたくなる病気です。

マンホールに御柱祭のマーク。ゴールも近い?

本当にこの日は雲が綺麗な日でした。秋はいいな。

なんてボンヤリしてたらスーパーあずさ。

再度空。いやほんとすばらしいのよ。昔、カメラ好きの叔父が「雲の無い青空は面白くない」と言っていたのが、この頃やっと分かるような気がする。昔は抜けるような青空が良いものだと思ってた。

1418 192km。

茅野市街に入り始めたか。男子美容専科。

1459 諏訪まで6km。がんがれ俺たち。

りんご一袋400円らしい。そんなお得感ないのは気のせいかな。一番下の段は「はねだし物」と書いてあって要はキズ物ということらしい。

ついこの間まで桃とブドウの世界だったのにいつしかリンゴの世界に。看板もリンゴと寒天推し。長野って寒天有名なの?寒天って天草だから海のものじゃないの?と思ったら、冬寒くて水が綺麗だとかの条件が整ってるといい寒天が出来るそうで、元は丹波の技術が諏訪に伝わったんだそうな。丹波も山の中だもんねぇ。へぇ。

1526 51個目の一里塚。

諏訪は街を挙げて合コンやるそうですよ。男女100対100。なんだそりゃ、と思ったら今日じゃねぇか。

1626 宮坂醸造前。「真澄」で有名だが去年の7月にショップにダンプが突っ込んで取り壊すことになり、現在再構築中。事務所や蔵は無事。先日の菊姫に負けず劣らず大企業です。

「ブロードバンド予備校」かなり気になる。

1640 52個目の一里塚。この日は一里塚が多く残っていたな。

何かアニメの世界じゃねーかっつー階段。上の方に女子学生が登ってるんですよ。こんなの通学路にあったらもれなく太股がロベカルになってしまいそうだ。


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ずっと「諏訪湖見えないっすかね」と言っていたけどやっと見えるように。左手に見ながら歩く。最後の方の登りは足に来る。

17時を過ぎて陽も陰るかどうかというところ、不思議な雲の広がりを見せて綺麗だなーと思ってたらこの後とんでもないことに。

1726 53番目の一里塚。これが甲州街道最後の一里塚。後十一町(1100m)で下諏訪の宿。終点です。

ということでテンション上げ気味で歩いてたらポツポツとお空からお水が。みんなダッシュ始めるから何もそんな急がんでも、と思ってたら本気の降り方になってきたのでオイラも走る。しんどい。

1735 下社秋宮のトイレに逃げ込む。臭い。

向こうに見えていた町が煙って見えない。所謂一つのゲリラ豪雨ですかね。トイレは臭いので下社の社の廂の下に退避。
iPhone で雨雲レーダー見ると諏訪湖の上だけ綺麗に雨雲が。なんだろな、この境内に逃げ込んで社の下で雨宿りという水戸黄門的時代劇パターンは。
何度か弱まりそうになって遠くが晴れたと思いきや、また強くなったりを繰り返す。

雨が小降りになったところを見計らってとりあえず終点まで行く。1812 中山道との合流点。

なんか最後バタバタになって達成感0。とりあえずおつかれさまでした。江戸まで五十三里十一丁(町だと思うんだけど隣のパネルには丁と書いてあった)だそうです。全部で11日だったけど前半チンタラ行った事考えると本気なら10日か9日で行けたな。


その後、熱すぎる温泉につかり(露天風呂から見える湖畔の街の灯りは綺麗だったけど)、打ち上げ場所を探す。行く前に「ここ良さそうですね」と行っていた店に電話をかけたら「満員です」と。とりあえず駅の方に行けば何かあるでしょ。Aさんが「最悪、駅前に養老乃瀧があったはず」と冗談を言っていたら冗談じゃ無かった。マジで何にもねーの。

ということで打ち上げは養老乃瀧。学生時代に入って以来の養老乃瀧。入ったら5人は座れないから4人席に座れと言われた養老乃瀧。入った席の隣では体育会系の女子大生(? 先輩らしいのは酒飲んでたからな)が飯食ってる養老乃瀧。

生2杯飲んで、暴力中華とは比べものにならないショボイ唐揚げやキムチチャーハンを適当に食ってふと気になって時刻表を調べたら、すずらんの里に帰るには2008の次は2141まで無いことが判明。気づいたのは2012。ま、オイラは下諏訪に泊まるからいいけどね。あと1時間半潰さなきゃということで、もう腹一杯だけど適当に粘ってから駅へ。

ガラッとした駅で「今度会うときは全国大会だな」と熱い抱擁を交わし、山梨組を見送る。

そこから歩いて10分ほどで宿に帰ったんだけど、下社の中にある宿まで帰る途中に人に会わないの。で、急に町内放送がかかったと思ったら「先ほど放送しました行方不明の男性は無事保護されました。ご協力ありがとうございました」みたいな放送。どうも徘徊老人が保護されたらしい。そんな放送流れるのかー。

で、真っ暗な神社の中を抜けて宿に帰ったのでした。22時に就寝して爆睡。

これでお仕舞いなんだけど、2日たっても達成感がないのが問題だな。

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2011年5月17日 (火)

甲州街道Z 第2話 -後編-

14時前ぐらいにドライブインを出る。ここからググッと登ったり、ひたすら長閑な道を歩いたりといったコースが続く。いつか通ったことのある道、が繰り返す感じ。

蔦木宿(つたきじゅく)に入り、1418本陣跡。この宿は随分賑わったらしく大きな寺もあった。

1429東京から175km。もはや何の感慨も無い。

この辺から右手に崖が続き、法面の補強をしているところが多く見受けられる。のだけど、「急傾斜地崩壊危険地域」に何故か「緊急避難場所」の看板。横にはそこそこな流量の水路があったりして、どう考えても緊急時に近寄ってはいけない匂いがする。

この後、「机」という地域で20号を離れて坂を登ろうとしたら、ロードレーサーのトレインが。3つか4つの集団に分かれていて30人ぐらい居たような気がする。どこかのショップのチームか何かかしら。揃いのジャージであった。

結構な劇坂をこなしたりして、1530頃神社の境内でおやつ。「富士見」という地名だけどこんなところで富士山が見えるのかしら?と思ったらうっすらと見えた。それだけ登ってきたということなんだろう。ただ、心の綺麗なオイラでギリギリ肉眼で認識できるかどうかなので、デジカメには写らない。

後ね、風が益々強いんだけど、防風林があったりするので元々そういう土地らしい。もう誰かの後ろに付いた方が楽、ってぐらい風が強かったりして。

さて、ここで帰りの電車を考える。中央線各停は1時間に1本ペース。次の電車は1651、その次は1746発である。甲府までは約1時間。軽く打ち上げをやろうにも、オイラの終電は2109のスーパーあずさ。どうだろうねぇ、1651間に合うかねぇ、とか考えつつおやつ休憩終了。

その後、道無き道を行くイベントの後に Google さんに聞いてみると、このまま歩くと丁度1646すずらんの里着ぐらい。この時点で実はオイラ、1651の電車を1646と勘違いしてた。ごめんなさい。
で、Aさん達が「走れば間に合うんじゃね?」と言って走り出す。オイラは小学生の時分から大阪梅田で鍛えられた歩行速度には自信があるので、Google Map で定期的に残り距離と時間を確認しながら早足で追う。

1616 何かと話題の中部電力富士見変電所。そう、ここは中部電力ゾーンです。

途中、見事なサトザクラ?のところに標高が。何気に六甲山より高い。まぁ今日のスタートは標高500ぐらいなので、高尾山ぐらいあるんだけど。

「神戸」と書いて「ごうど」と呼ぶらしい地区へ入る。ゴールはもうすぐだ。

と思ってたら、なんとオイラの iPhone がバッテリー残り20%を残して急に落ちた。で、電池切れマークが出てウンともスンとも言わぬ。時計も残り距離も分からなくなったので、仕方なくオイラも走る。

1639 今回のゴール、神戸八幡の交差点。余韻を楽しむ間もなく駅へ向かう。

1643 すずらんの里駅着。近所に事業所のあるセイコーエプソンが1985年に2億円を支払って作って貰った駅なんだとか。1985年ってまだ国鉄だったんだねぇ。

で、当然のごとく無人駅なんですが、Suicaの改札がない。笹子駅とかには駅員いなくても改札はあったのになぁ、と思ったら Suica って「東京近郊区間」でしか使えないのね。で、東京近郊区間の西の端っこは韮崎駅なんだそうです。だもんで、新府より西ではSuica使えない。しらなんだ。

で、改札の代わりに乗車駅証明書発行機ってのがあります。ボタン押すとバスの整理券みたいなのが出てくるという機械。こんなの初めて。

1656 遅れてやってきた小淵沢行きに乗り、甲府へ向かったのでした。


甲府では2年前にも行った七賢の居酒屋へ。遅れて朝運転してくれたCさんも合流。
18時頃に入ったら案外混んでたけどいつもながらのクオリティだった。紙に注文を書いて渡すシステムなんだけど、最後までこなかったカレイの唐揚げ、個数を書かなかったばっかりに人数分来てしまった鮎の塩焼き、2合頼んだら「味見どうぞ」とデキャンタみたいなのにどう見ても3合以上入って出される日本酒。

そうこうしているうちにMさん(Mさんは2人いる)が爆睡し始めたので、早めにお開きにしますか、と。オイラも予定より30分ほど早いあずさがあるし。

で、急いで勘定して7分前ぐらいに店を出てバタバタと甲府駅へ。あずさはガラ空きで新宿まで隣に誰も座ることがなかった。石和、塩山と止まるので、やっぱスーパーあずさじゃないと遅いなぁ、と目をつぶって気がつくと三鷹だった。

それにしても今回は気持ちよかった。朝からの向かい風と最後のダッシュが無ければ最高だったけど、人生そこまで全てが上手くはいかないものよ。
次回がラストの予定です。

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2011年5月16日 (月)

甲州街道Z 第2話 -前編-

朝6時半前に家を出る。新宿に向かう途中で「俺、なにやってんだろ?」と疑問が頭をもたげそうになるが、それを考えてはいけない。
新宿について7:20発の高速バス。乗車してすぐ運転手から「府中で事故渋滞8km、抜けるのに40分かかるとのことです」と。八王子料金所の手前から動きが悪くなり、料金所の向こうから動かなくなった。30分ほど遅れそうです、とAさんにメールする。
今回のお隣さんはピザ体格の良いオッサン。手すり占拠は許せても溢れてきてるのは許せない。オマケに良くお休みになってるんだけど、無呼吸症候群っぽく、急に「フガッ」とか言うのよな。通常の寝息も五月蠅いし。前回のヤニ臭いオッサンに続いてハズレだ。
結局、予定通り(?)予定より30分ほど遅れて 0935 中央道昭和のバス停に到着。

バスを見送り「いやーお待たせして申し訳ない」と階段の下を覗いたら誰も居ない。「あれ?」と思って電話したら「すぐそこの信号まで来てます」とのこと。遅れると連絡したので適当に調整してくれたのだろう。
今回も車でスタート地点へ。ただ、車を置いておくわけにはいかないので、Aさんのご友人が運転手をして下さった。ご友人はコートジボワールの日本大使館で働いていたけど政情不安でフランス軍に救出されてパリ経由で帰国して現在NEETで、地震だろうが放射線だろうがすぐ死ぬ訳じゃないからコートジボワールより日本は100倍マシだと言う、どこまでがネタかよく分からない人である。とりあえず体格が良くて日本語が上手で良く笑ういい人だった(生粋の日本人です)。
ロケット弾直撃で壁に穴…日本大使公邸に襲撃の爪痕 コートジボワール - MSN産経ニュース

で、1015 前回ゴール地点の牧原交差点。スタートします。今回も見所はほとんどないので写真多めで誤魔化します。誤魔化そうと思ったけど、どの写真もドングリの背比べ状態なので選ぶのに迷った。


傾いて撮ってるんじゃなくて道が傾いてるの

まさかの台風1号の影響も無く、黄砂も金曜に太平洋へ抜けたとのことで、良い天気。南アルプスの山々が美しいが、何故だか朝から風が強い。それも向かい風なの。夕方に風が吹き出すのなら分かるけど。

丁度時期が田植えの頃らしく、代掻きや田植えをする人々がいた。後、トラクターとか田植機で道路走ってるのね。カンボジア以来です。
この辺りは武川というのだけど、武川米っていうのは大層美味しいらしい。東京じゃ見かけないけど、武川米を買ってトラックに積んで魚沼ってところに持って行ってそこで袋詰めする人がいるとかいないとか。一度食ってみたい。

11時に古道へ。アスファルトじゃないところを歩くのは久しぶり。地面がモコモコして気持ちいい。

いやーホントにこの日は良い甲州街道日和でした。風が少々強すぎたけど、日射しは温かく、風は乾いて涼しく。薫風とは良く言ったもの。

再び道路に戻り、台ヶ原の宿。1126、2年前に蔵開きに訪れた七賢を通過。思えばこの時にAさんとお会いしたのが運の尽き甲州街道を歩くキッカケともなったのであった。
七賢: 戯言
本当は寄って試飲も出来たんだけど、最初のバスの渋滞もあって遅れ気味だったのと、帰りの電車を考えるとスケジュール厳しめだったのでパス。
七賢 名水を醸して300年 山梨銘醸株式会社 山梨のお酒 通販

その斜向かいにある金精軒という和菓子屋さん。前述の蔵開きの時に、何か腹に入れておかなきゃ、と思って大福か何かを買った記憶があるのだけど、実はそれなりに有名な和菓子屋さんらしい。
山梨土産というと、きなこと黒蜜の信玄餅が有名だけれども、よく駅とかPAで売ってるのは桔梗信玄餅らしい。「信玄餅」という商標はこの金精軒が持ってるんだとか。きな粉の質がこだわりとかなんとか。
信玄餅の金精軒-北杜市白州町台ヶ原-生信玄餅,大吟醸粕てら

とりあえず入ると、生桔梗餅なるものがあったので試食。プニプニして柔らかいが所謂信玄餅の味だ。比較しようにも前に桔梗信玄餅を食ったのが何年前か分からない。おやつに焼ききんつばと生どら焼き(キャラメル味)を購入して出る。

1144 白州小学校通過。横断歩道の旗入れのデザインが微妙である。きちんと許諾取ってるのかどうか…

全く関係ないけど「南ア観光開発」っていうのがあってビックリしたけど、南アって南アルプスの略称らしい。山梨だと南ア=南アルプスってのは常識なのかしら?

この先、ゆるゆると登ってはストーンと下るというのを繰り返す。道は国道20号とつかず離れずだが、20号自体を歩くことはほとんどないので、排気ガスとか騒音に悩まされることはない。むしろ静か。乗り遅れたウグイスの鳴き声が聞こえたり。
12時も過ぎて、ご飯どうするかね、という話題が出るも道沿いには店は無く。20号まで出てみても中々見当たらない。

と、20号に出たところに看板が。

なんと魅力的な!と思ったら下の方に別の看板。

どうも店はやめて普通の家になってるようです。もうちょっと他の表現はなかったんだろうか?
その後も店は見つからず、有ると思っていたセブンイレブンが真っ白に燃え尽きてたり(甲州街道あるある)で、諦めてちょっと遠いけど確実にあるというラーメン屋を目指す。

地方のお約束、ジャージ(体育着)にメット自転車の女子中学生だが、車道逆送してるよ。どうも普段だと有り得ない歩行者が歩道を歩いてるもんで仕方なく車道を走ったっぽい。

この辺り、白州のサントリー蒸留所やシャトレーゼの工場などがあるのだけど、ウイスキーの蒸留所があれば樽を作る工場もあるようです。製樽工場ってどう読むんだろう?

右手に八ヶ岳が見えるようになります。もう山頂の方まで雪は見えず、緩やかなスロープが美しく見えまする。

いやー春だな−。皐月だなー。

教来石という地方の終わり辺り、1311 山口関所跡。ここが甲斐と信濃の国境の関所だったんだそうで。今では突破しようと思えばその辺どこでも突破できそうな地形に思えるんだけど、昔は開けてなかったんだろうか。

教来石というのは「きょうらいし」と読む。何やら日本武尊が座ったという石があるらしく、その石を「経来石(へてこいし)」と読んだものが転化したとか、国境の「清(きよ)ら石」が訛ったとか色々説があるそうな。嘗て、武田四天王の一人、馬場信房も馬場氏を継ぐ前はこの地方の教来石氏という土着豪族だったと。

七里岩も1ヶ月前と比べると随分青々としていまする。場所は違えど1ヶ月でこうもなるもんなんだなぁ。

その名も国界(こっかい)という場所にある素敵な「ビジネスホテル」を遠目に望みつつ歩き続けると

1321 新国界橋。この橋を渡ると向こうが長野県。

が、この橋は渡らず、旧道は国界橋を通るので粗めの拡大画像でお届けします。

東京電力の取水堰かな?

この後一悶着あって(ずんずん入っていったらいつの間にか進入禁止エリアに居た)、Mさんの活躍でなんとか脱出して20号沿いのラーメン屋へ。結構賑わってたのは他に店がないためか、美味しいからなのか。何せ1330の遅い昼食。
ドライブイン 国界 こっかい - 富士見町その他/定食・食堂 [食べログ]
チャーシュー麺を頼んだけれどもボリューム味ともに結構でした。韮崎の時も味は普通だと思ったんだけど、よく考えたらラーメンの味を評価するほどラーメン食ってないんだよな。チャーシューが箸でつまんでも崩れそうなぐらい柔らかかったのは良かったと思いまする。(続く)

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2011年4月 5日 (火)

甲州街道Z 第1話 -後編-

さて1330に食事を終えて旅に戻る。もう15kmぐらい歩いているはずだ。思えば第1回の日本橋〜明大前が13kmであった。あれは何だったのか…

後半は住宅地を抜けたりするので、あまり自販機やコンビニが無いかもしれない、ということでコンビニへ。
あまりに借景が素敵である。ってか見渡す限り向こうに何もねぇ。

韮崎から先は右手に屏風のように七里岩が続く。

七里岩っつーのは、上の写真だと左が下っているように見えるけど、韮崎(右)からずーっと続く。どのくらい続くかというと七里というから28km。八ヶ岳から流れ出た火砕流が浸食されて出来たものだそうで、実際に韮崎から赤岳までは30kmぐらいある。すげー話だ。(八ヶ岳っていう山は無いってのは豆知識な)
で、この七里岩を上から見るとニラのように細長く伸びているので、その先っちょを韮崎というのだとかなんだとか。

大きな地図で見る

ベローンと伸びた先辺りが韮崎駅。


ぽつっと見えるオレンジがトラクター
高さが分かると思う

時節柄、桜を期待していったのだけど前週の寒さや、そもそもあまり桜が植わってなかったりで見ることはなかった。その代わり(?)にハナモクレンが多かった気がした。コブシじゃないよね?

この辺りまで来ると春霞と相まって富士山が心の目でギリギリ見えるか見えないかのレベルに。一応上の写真に写ってるのよ。

1430桐沢橋を渡る。昔は渡し場があって釜無川を渡ったんだそうだ。渡りきったところに韮崎射撃場。

が、2009年で閉鎖されているらしい。クレー射撃とか出来たそうだ。

1506宝蔵寺というお寺の境内の公園で3時のオヤツ。オイラは水を飲む。
再び歩き出した頃から強風が吹き始めた。それも向かい風。気温も下がってきたので上着を一枚羽織る。

この辺り、円井、円野といった地名で、円井逆断層というのがあるそうな。「つぶら」とか言いつつ「ぎゃくだんそー」ってのがいいな。見に行った人に聞いたけど良く分からなかったとか。
円井の逆断層 | 韮崎市オフィシャルホームページ
確かにホームページの写真見ても良く分からない…

で、円野はやたらと標語を立ててあるんだけど、

「つぶらのに、馴染んだ、おはようごいす風温い」
17文字なのか31文字なのか、どこで切って良いのか分からない。「おはようごいす」?「ごいす風」?たぶん、キングさよなライオンとかの親戚だろう。父方の実家がこの辺りだというNさんに「お父さん、おはようごいす、って言います?」って聞いたけど否定された。隠してるのかもしれない。
で、この辺、かかしの里で、かかし祭りってのが行われるらしいのだけど、これも案山子の一種なんだろうか?

別に公園でもなく、何の説明もなく、ただ風で円盤がガラガラ回って五月蠅かった。


ぽつっと立つ小柄なダミー警官さん
これも案山子かも


20号をくぐる(別にくぐらなくてもいい)

久々に20号に合流して小武川橋を渡るところに久々の標識。

もう158kmとか良く分からない。昔は若かったね。うん。
で、渡りきったところが北杜市。

1613。ゴールはもうすぐだ。


甲府から六里だそうです。約24km

庚申塚、庚申塔というのが街道沿いに散見されるのだけど、元は道教系の話で庚申の日に徹夜で宴会するのを3年続けた記念に立てるものなんだそうな。それがいつしか道標を兼ねるようになったとか。水仙がきれいだった。

東京 160km、甲府 24km、韮崎 11km。1日で初期の2日分を踏破。

1638、今回の目的地牧原(まきのはら)の交差点に到着。お疲れ様でした。
ちなみにこの交差点から右方向に行くと釜無川を渡って日野春駅、左方向に行くと去年花見に行った実相寺がある。


この後、Aさんが前もってお知り合いに置かせて頂いていた車に乗って近場の「むかわの湯」という施設へ。温泉で骨抜きになってから甲府に戻り、Nさんオススメ(?)の暴力中華。確か笹子越えの後、塩山で行ったのと同じ系列の店。何が暴力的かというと物量作戦。


フライドチキンではなく唐揚げ


キムチチャーハン

これが一皿800円とかそんなんなのよね。もうね、腹一杯、「誰だよ(チャーハン)大盛りにしろって言った奴」などと言いつつ、マジでこれ以上食えないってぐらい食って1人1500円でした。時空がゆがんでる。
その後、心のオアシス、シャトレーゼに寄ってから昭和のバス停まで。街が暗いのは節電のせいかなーと思ったけど「普段からこんなもんです」と。冗談なのか本当なのか分からないけど。さすがに寒いので持って行った衣装を全部着込んで中央道への階段を上り、バス停のブースへ。
定時より少し遅れてバスがやってきたので乗り込む。皆様の見送りを受けてさようなら。
1時間半ぐらい寝て新宿に着き、無事帰宅したのでした。

27km歩いてもさほど足にダメージが無かったのは愛宕山トレーニングが効いたのかな?

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2011年4月 4日 (月)

甲州街道Z 第1話 -前編-

甲州街道の冒険を終えたアドルは、海辺に一人たたずみ、長かった戦いの日々を思い返していた。東府中~高尾の最後。悪の元凶となった笹子峠。古代王国木村屋の店主…。様々な出来事を思いながら砂浜に目を移すと、一つの小瓶が打ち上げられていた。中には手紙が入っている。

「勇者よ、下諏訪の樹海を救ってください…。」
再び、アドルの新しい旅が始まろうとしていた…。


朝5時半に起きる。前日急に挑まれた4時間半の飲みで少しアルコールが残っているので入浴。準備は飲みに行く前にしておいたので大丈夫なはずだ。
午前7時過ぎ、新宿高速バスターミナル。思ったほど寒くない。

計画停電の影響で中央線がどうなるかわからなかったので、今回は高速バス。甲府へ行くから甲府線を選びそうになるが、彼の地の方によると諏訪岡谷線で中央道昭和で降りた方が安くて早いんだそうな。美味いかどうかは知らない(100円ほど安くて15分ほど早い)。

0720出発予定だが、2号車まで出したのに運転手がチケット確認をミスっていたらしくダブルブッキング数件で少し遅れて出発。隣の客が体から強烈なヤニの臭いを発していて顔を背けていたら降りる頃には首が痛くなっていた。あの人種は鼻おかしいんだろうなぁ。勘弁して欲しい。
中央線に比べて懐かしい場所は無いなぁ、なんて思ってたけど小仏トンネルを抜けた辺りから「あぁこの鉄橋の下通ったな」とか「談合坂SAで飯喰ったな」などの記憶が蘇る。やっぱ経験は物事の見方を変えるよね。

0905着予定であったが、5分ほど早く着いた。高速道路のバス停に降りるのは初めてだ。階段の上に立つと、下のグラウンド前に懐かしい顔があった。ドギ、フィーナ・・・(違

新年のご挨拶をしてNさんの車で出発地、NTT甲府支店西交差点へ。0926スタート。

甲府駅へと通じる平和通り(?)を渡る。10時前なのでほとんど歩く人はいない。

道沿いに法輪寺かんかん地蔵。

武田有義の墓(首塚?)らしい。武田有義は平重盛配下であったが、頼朝挙兵(2回目)以後は源氏に従った。が、頼朝が死んだ後に弟の伊沢信光に嵌められて逐電。ここの説明によると、なんと九州五島列島まで落ちていったという。その後、五島で死んだ首がこの寺に運ばれて埋葬されたんだそうだ。もちろん、甲斐源氏の武田氏で信玄の先祖に当たる。
今回の道は特に見所がないのでこれぐらいでも拾っておかないと。

0957 貢川を渡る。「くがわ」と読むが、地元では川の名前というより地名のイメージが強いようだ。

堤沿いに桜がきれいに見えるのだけど、残念ながらそっちには行けない。

1017芸術の森公園。この辺りで家に車を置いてきたNさんと再会。合流。

程なく甲斐市に入り、竜王駅の西で中央本線を渡る。1047

線路の先に見えるのが南アルプス(の筈)。この辺りまで車が多かったのだけど、一転して交通量が減る。そして暑い。愛宕山の反省から調節しやすい服装にしたんだけど、半袖のTシャツでも良かったかも。翌日見たら最高気温は21度だったそうな。

1137 泣石。

武田信玄の親父の代に築かれた甲府の躑躅ヶ崎館はその名の通り城らしい城ではなく、勝頼の代になって韮崎の新府に築城を始めた。軍事と城下町発展の2つの意味があったとされる。まぁ甲府が攻められるなんて考えもしなかったのに、そういう時代になっちゃったってことだな。で、作り始めてすぐに移り住むんだけど、翌年には攻められちゃって岩殿城へ逃げる事に。逃げる時に新府城に火を掛けた。それをここから返り見て奥方が涙を流したという。その後の武田氏は甲斐大和の会でご存じの通り。


電話番号4桁…

1210 E351系を横目に塩川橋を渡る。


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渡りきったら韮崎市。

ほどなく鰍沢横町の碑。鰍沢は山梨に行くまで知らなかったが「かじかざわ」と読む。甲府から南方の富士川沿いの町。ここから鰍沢の河岸まで道があったそうだ。海のない甲斐国では駿河との交通は非常に重要であって、韮崎方面からはこの道を通じて鰍沢まで運び、富士川を下って駿河へ運んだんだそうな。また、身延山への参詣でも賑わったことから「みのぶみち」とも言われる。

七里岩の上に韮崎の観音が見える。まぁ、別にでかいだけで何という事もない。一応町中なんだけどほとんど飲食店が無く。あってもやってなかったり(土曜のお昼ですよ!)。
んで、この辺で有名だという「うさぎや」という和菓子屋に寄るも、すでに在庫僅少。かつ、オイラは上着等々鞄に突っ込んでパンパンだったので何も購入せず。他の皆様はおやつをご購入。お店のご主人に「この辺でお昼食べるとこありませんか?」と聞くと、少し戻ったところにラーメン屋があると言われてすごすご戻る。

1249 大衆食堂 中華そば 松葉屋に入店。

中はかなり混んでいた。地元の名店なのか、単に飲食店が少ないから人口密度が上がっているのか。入って座るも注文取られず。「ごめんなさいね、ちょっと注文待ってね、他の人のがあるから」みたいなことを平野レミみたいなオバチャンに全く誠意のない雰囲気で言われる。別に嫌な感じではなく、この後も「お決まりの台詞」のような心のこもってない「ごめんなさい」を連発された。
注文を取ってもらうのを待つ間に、500円のラーメンに半チャーハン(350円)を付けるかどうか迷う。腹は減ってるんだよな。羊肉丼というのも気になるな。羊肉が名物なんだろうか?

平野レミはラーメン出したり、食器下げたり、客に駐車場の指示したりバタバタしてる。10分ほどしてからだろうか注文を取りに来た。3人がラーメンのみ、オイラが半チャーハンラーメン、Nさんが半肉丼とラーメンを注文したところで、「ひつじにくどん」じゃなくて「はんにくどん」だったことに気づいた。
で、出てきてビックリ。500円とは思えないボリュームにサラダと冷や奴までついている。これだったら普通にラーメンで良かったなぁ。味は普通。客の扱いが妙に親しくて、待たされて、少々雑なので短気な人とか俺様は客だ、みたいな人には向かない店だろうけど、別に嫌な感じはしない。休憩するにはちょうど良かったかな。

何せ半チャーハンを後悔して腹パンパンで店を出たのでした。
「待たせちゃってごめんなさいね」(続く)

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2010年10月 5日 (火)

甲州街道 第8話

8末の笹子越えから1ヶ月。笹子を熊の出ない内に通過できたので、もう暑い間に歩く必要はない、ということで10月になってからの再開となった。決して勝沼ワインぶどう祭に合わせたわけではない。

土曜日 8時前に家を出ていつものように、新宿~高尾~大月へ。高尾でM さんと合流。今回は東京組3人、山梨組4人の予定である。ちなみにM というイニシャルが4人いるのだけど面倒なのでそのままにする。ついでに言うと写真の選別も面倒なのでダラダラ載せる。

高尾発の各停の終点が大月。ここで甲府行きに乗り換えるのだけどホームには人が一杯。葡萄狩りの季節というわけか。結局家を出てから2時間半ほどで甲斐大和へ。あれだけ人が乗っていたのにホームに降りたのはオイラ達2人とオネーチャン1人の3人だけである。

この日も良い天気。本当に甲州街道歩きは天気には恵まれた。
山梨組は20分早くついている筈なので待ち合わせのセブンイレブンへ向かい、必要なものを調達…って水以外に買うものを思いつかない。30度越えな訳でもないし、そこらに自販機あるだろうし、山登りするわけでもないし…何だろうこの虚無感。


山梨の7/11の一押しは鳥もつ煮らしいです

ということで6人で前回の終着点まで行って、そこからスタートです。


1048 左に行けば笹子峠

ひたすらユルユルと20号を降りていきます。歩道が有ったり無かったり。交通量が多くてちょっとツラい。


1109 116km道標

「長垣の吊り橋」という名勝らしいですが藪の向こうです。さらに手前に大きな穴が空いてます。この辺りから葡萄畑が増えてくる。


何となく気持ちよかったので


路肩に放置された収穫済みのぶどう。扱いが雑。


1126 117km道標 歩道がない

1133 柏尾。江戸に戻った新撰組が甲州鎮撫隊と名を変えて甲府城を取りに行くも、まんまと板垣退助に先を越されて甲府城は新政府軍のものに。結局甲州鎮撫隊は新政府軍とここで衝突、敗走して千葉まで戻ってもう一暴れしようとしたところで諦めて近藤勇は出頭するのであった。そういえば、西調布に甲州鎮撫隊が休憩したという寺があったな。第2回か?

ほどなく大善寺なる寺。別に大したこと無い建物なのに妙に大きく出てるなぁと思っていたら

しばらく行ってから中を覗いたら中々の山門でした。が、やたら拝観料払えみたいな看板があって金儲け主義っぽいのがイマイチ気に入らない。拝観料取ることを否定はしませんが、何かギトギトしてる気がして。もちろん拝観せずにスルー。行基が開祖とも伝えられる随分と古い寺らしいですが武田勝頼が大月へ向かう前に戦勝祈願したという中々に御利益のありそうな寺でもあります。


1140 118km 道標

1143 (旧)勝沼町に入ってすぐのところで国道20号とはお別れ。これで最後です。さいなら。今までありがとう。でもこれからは別々の道を行くのがお互いのためだと思うの。
写真を縮小すると分かりにくいけど、奥に煙ったように街が見えます。甲府盆地。何故かクリスタルキングの大都会が脳内再生されるが、あれは「大都会」福岡を歌ったものって知ってた?

というわけでそこかしこに葡萄。ブドウ園じゃなくてもガレージの上とかに葡萄。


「店 あっち」

1204 勝沼ぶどう祭会場到着。予定では11時半過ぎだったので思ったより時間がかかった。昼間に上がる花火(?)って映画とかRPGの中でしか見たこと無かったのだけどポンポンいいながら景気よく上がってました。

で、まあ出店があってイベントやってたりして祭りなんですが、何と言っても勝沼ということで500円でワイン飲み放題。500円払うとグラスをもらえるのでそれを持って各ワイナリのテントを回ります。全部で20ぐらいあったかなぁ。

グラス持ってテント回って注いでもらって匂い嗅いで口に含んで一気に飲み干す!というのを延々繰り返す。いつもの酒蔵イベントと違って普通の祭りなので試飲に慣れてない(最前列に張り付いたまま飲むとか)人が多かったり、直売もしてるのでワイナリの人が2人とも販売に入ってしまうと誰も注ぐ人がいなくなったりと、普段の酒イベントよりは少しgdgd だったけど、とりあえず30分強でメルシャンとマンズワイン以外は全部回りました。注がれた分は全部飲んだよ、って話したら皆に驚かれた。

味はなぁ、国産ワイン殆ど飲まないんで他と比較できないんだけど全体的に薄い感じかなぁ。重口って書いてあってもすっごくライトだったり。こういうイベントだから余り良いのは出してないんだろうな。もしかしたら甲州ワインは白の方がいいのかな?よくわからん。とりあえず暑くてスパークリングは全部美味かった。って口当たりの問題。あと、10年古酒があってそれはデザートワインっぽくて美味かったな。安かったし。1979年古酒ってのもあって、それは醤油の匂いのするブランデーって感じで不味くはないんだけど、ツマミを何にすればいいのか分からない。

で、ここで東京組のMさんが合流して7人パーティに。本来の目的を忘れかけたところで歩き再開。


これでもか、と葡萄


1314 山梨市に入る

前回、ほったらかし温泉に行くときに通った道にもあったのだけど、所謂「アレなビデオ」の自販機。「にんげんだもの」という"あいだみつお"テイストがナイスなんだけど

すぐ脇にこんな看板があるのが更に良い。

この辺りで天下のシャトレーゼでアイスを買って食い、1320 通りかかった中華料理「大連」で麻婆麺を食った。値段の割にはまぁ美味かったんじゃないかな。中華なのに「鳥もつ煮」を出すらしく、もう全世界の鳥モツは山梨に集中してるんじゃないだろうか。先ほどの祭り会場でも屋台が出てた。

正直この辺までアルコールが回っていたんだけど、昼飯食ったら回復した。又歩く。

なんだか新しい感じの素敵な日本家屋だなぁと思ったら

大戸屋の研修センターだったり。びっくりです。

1430 日川を渡る。花園の高校ラグビーマニアにはお馴染み、山梨の日川です。

西に進んでいる筈なんだけど正面から太陽が照りつける。暑い。そして何もなくて景色が変わらない。

先ほどの日川に何本かの川が合流して笛吹川に。1458 渡る。所謂一つの石和温泉郷に入ります。

写真真ん中辺り、山と山の隙間の辺りが甲斐大和の筈。あそこから歩いてきました。よーやるわ。

川沿いにしばらく歩くと笛吹権三郎の像。笛吹川は昔は暴れ川だったらしく、しばしば洪水を起こしたんだそうな。で、この子のオカンが流されて行方不明になったもんで笛を吹きながら川沿いを探している内に疲労コンパイルして自らも川にはまってしまったんだと。で、どこぞに流れ着いて手厚く葬られたらしいのだけど、それから水の中から笛の音がするとやら。ということで笛吹川というようになったんだそうな。

ま、そんなこんなで石和を抜けて行くんですが、素晴らしき昭和の香りと場末感。テアトル石和は二本立てで900円だそうです。その他味わい深いというか大丈夫?って感じのお店が並ぶ。

1530 頃に休憩しようということで、氷の看板に引かれてかき氷。喫茶店だと思って入って、どうやってもこぼれるように盛られた氷を食ってから外に出たら実はパン屋だった。道理で7人入ってきてかき氷頼んだら少々パニクってたのか。少し涼んだところで再開。

1600 ついにやってきました甲府市。夢にまで見た甲府市。甲府だよおっかさん。

雲に太陽が隠れて歩きやすい。が、何も無い道が続く。脚だけが痛む。

見所?としては連歌発祥の地らしい酒折宮と甲斐善光寺ぐらいですかな。後は両サイドに山梨学院大学のグラウンドやら球場やらキャンパスやら寮やら。まぁすごいですよ山梨学院大。


1656 善光寺駅

で、城東通りというこの通り、城下町ということで真っ直ぐで退屈なのですが、善光寺駅と金手(かねんて)駅のところで90度のシケインになる。武田信玄が甲府の街を作るときに、敵が攻め込んで来たときに一気に突進出来ないように作らせたのだとかなんとかが今でも残ってるんだと。おかげで渋滞が起こると。ま、それが狙いな訳ですが。

この善光寺辺りからがかつての城下町、宿場町になるっぽい。

んで1720 NTT甲府支店西交差点。ここが終点。え?と思う向きもあろうが、甲府宿というのが存在しないというか舞鶴城の城下町で範囲でかすぎなのと、甲州街道が諏訪まで延長されたために終点が無い、というので適当に止めざるを得ないのである。というわけで、「お疲れ様でした」と中途半端な達成感を感じつつ終了。いやー長かった。まじで。


この後店に移動して打ち上げ。山梨県民が葡萄、桃、サクランボを dis るのを延々聞いた。「ぶどう食いきれない」「特に桃はもらっても大きいしすぐ傷むし邪魔だ」みたいな。


途中にあった店?。甲斐路 1kg 500円。ゴーヤ無料。雑。

結構東京に近いのになぁ、桃も葡萄も運ぶのにコストかかりすぎっつーか傷みやすいんだろうなぁ。で、脳味噌と口が直結してしまったMさんに爆笑したりしながら20:45に店を出て甲府駅へ。

見送りに来てくれた山梨組の方に挨拶をして改札を通ろうとしたら「人身事故のためスーパーあずさは1時間以上遅れます。高尾行き各停を使った方が早く新宿に到着します」みたいなアナウンス。後4分ほどしかない、ということで慌てて改札を通ってトイレに寄って出て来たら遅れが30分になってた。なんだそりゃ。だったら特急の方が早いべ。
仕方が無いのでベンチで3人でぼーっと待ち、やってきたスーパーあずさで新宿まで。笹子トンネル、小仏トンネルを通過しながら「よーあるいたなー」と思いを馳せていたのでした。同時にこんなトンネルだとどこにどう行ってるか全く分からんけど、少なくとも日本橋から甲府までが続いていることは自分の脚で確認できたなぁ、と。言い出しっぺのAさんに感謝。

帰宅して風呂に入って首に日焼け止めを忘れていたのを思い出す。ヒリヒリ。上がってから Man.U - Sunderland を見てたんだけど余りに退屈な試合運びだったので途中で寝た。ちゃんちゃん♪


Aさんが計算してくれた踏破距離。頑張りました。精神的には第3回が、肉体的には第5回が辛かった。
昔のシューティングゲーム的にはもう1周しないと真のラスボスが出てこないんだろうな。グラ2なら甲府から日本橋まで戻ったところでヴェノムと闘うわけだ。絶対ヤダ。

第1話(日本橋~明大前) :13.54km
第2話(明大前~東府中) :15.30km
第3話(東府中~高尾)   :23.03km
第4話(高尾~藤野)   :17.52km
第5話(藤野~鳥沢)   :20.77km
第6話 (鳥沢~笹子):20.30km
第7話(笹子~甲斐大和) :10.98km
第8話(甲斐大和~甲府) :20.53km
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計            141.97km

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2010年8月30日 (月)

甲州街道 第7話

今回は諸事情により短め。1つは山岳コースであること。もう1つは山を越えてから中央線と離れてしまうため中途半端に進むと帰りの駅までの距離が出てしまうことである。山梨組が車を停めておく策もあったが、丁度良さげな辺りに駐車場が無いということで。

8時前に家を出てコンビニへ。笹子から山の登り口までにコンビニが無いかも知れない、という山梨方面からの情報があったので。ネットで検索するとヤマザキYショップ笹子追分店があるらしいのだが「潰れてたと思います」と。
四ッ谷から丸ノ内線=>京王=>JR と乗り継ぐ。四ッ谷から直接でもいいのだけど、丁度いい大月行きが無く、かつJRだと700円ほど高い。高尾から大月まで行って乗り換え。都内と違って風が涼しい。

笹子駅1030。少し待たせてしまった山梨組4人と合流。もう双方1時間に1~2本しかないのでね。
日向に出るとやはり暑い。

通過する臨時列車(団体)の国鉄色189系。かつての「あずさ」であろうか。この後、あさま色も走ったり臨時電車の多い日だった。

笹子トンネル入口を上から見る。右が昭和40年に出来た新トンネル、左が明治35年の旧トンネル。

1101 山梨県民の心のオアシスらしいハッピードリンクショップで水分補給。どうも賞味期限(?)ギリギリの商品を仕入れてきて安価に売る自動販売機置き場だそうな。城南電気みたいなもんか(若者は知らんか)。上野原を過ぎたあたりからチラホラとある。ほとんどのドリンクが100円。人件費かからないし儲かりそうだなぁ、とか。都内と違って置き場所の地代とか気にならなそうだし。

1107 ヤマザキYショップ笹子追分店。真っ白に燃え尽きてました。やっぱ家の近所で諸々調達して良かった。

笹子峠登り口手前の工事現場。ガキの頃からリニアモーターガールカーの実験を山梨でやってるとは知っていたがどこかは知らなかった。こんなとこなのね。

ということで1116登り口です。20号から離れて急に静か。Aさんがつけた熊よけの鈴の音が響く。ってか結構大きくて澄んだ音がするのな。

小仏峠と違って全く人気がありません。道も荒れ放題。

例によって道を間違えて急坂を直登イベント発生。「あ、あっちが道だったのか」

1202 矢立の杉。昔はここを越える武士が矢を射立てて冨士浅間神社に戦勝祈願したという。ってか、ここまで馬で来たのかよ。武田方か北条方か知らんけど。

杉様の歌う歌が流れます。無料。ゼンマイ式だそうですが、がんがん掛けちゃってもカスラック的にはOKなの?しばらく休憩して再度出発。

悪いとは言え、これまではそこそこの道だったんですが、急に細くきつくなります。うわーーーーっと思ったその勢いで一気に登る。アルパインポール持って来て良かったわ。戸隠に次ぐ活躍。でも突きすぎて右手が腱鞘炎気味になった。
その後道路に出て登ると

1234 笹子隧道。昭和32年に国道20号の新笹子隧道が出来るまではここが交通・流通のメインだったらしい。予定では12時半に峠だったんだけど、休憩多めだったからか少し遅れ気味。もちろんトンネルはくぐらず、峠を越えます。で、また獣道のようなところを登ると。

1241 峠です。右に70分で雁ヶ腹摺山、左に90分でカヤノキビラノ頭ということで正に峠です。が、小仏と違って広場もなく人もいない。昔は広場があって常時20頭の馬が繋がれ諏訪神社と天神社が祀られていたらしいが、天神社しかなかった。馬をつなげそうな広場もないし。
とりあえずここじゃ飯も食えんということで下りる。

と言うわけで1250 トンネルの出口側、甲州市に入ったところで食事。何故か小豆色のカナブンがゴロゴロと死んでるんだけど、もうこの際気にしない。
今日の昼食は面倒なので家で握ってきたおにぎり。具は家にあったもの、ということで、ねぎ塩だれ・あみづけ(佐賀のアミエビの塩漬け)・うに、って酒のつまみしかなかったのよ。
湯を沸かすかもとNさんが言ってたのでコンビニで豚汁を買って行っていたのだけど、皆様暑いだろうということでラーメンとか買ってこなかったらしく湯は不発。

天気最高。峠を抜ける風は涼しく、座っていると寒いぐらい。でも少し河口湖方面に暗い雲が出てるかな。

1310 移動再開。また少し山道を下り、道路に出てそのまま下る。アスファルトは膝に来るなぁ。

眼下に民家が見えるようになる。ああ、もう盆地の縁に来たんだなぁ。

1437 民家地帯に入りました。大和村ってのかな。 orz な向日葵。

中央高速をくぐり

大和橋西詰で終了。1448。予定は3時間強だったのだけど、5時間弱かかったなぁ。

とはいえ、いつもよりは早めに終了だったのだけど、この後の件は別に。

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2010年8月 3日 (火)

甲州街道 第6話(後)

さて昼飯食って出て歩く。


1314 大月インター

1337 この線路の向こう側に旧道が有るはずなのだけど渡れず。線路の下にトンネルがあるけどトンネル内は大きな水たまり、オマケに向こう側は草ボウボウということで断念。

ちなみにこの辺りから Nさんの iPad が定期的に「暑すぎてもう僕だめです」と仕事放棄し始める。iPad は熱に弱いので皆さん覚えておくように。やっぱ iPod touch だな。
そういえばツラくなると仕事放棄するのは昔のMacなら普通だったな。NeXT で Mathematica 動かしても気付いたら勝手に落ちてたり。


1343 ちょくちょく自転車の人がいる

雨が降ったら通行止めにするぞ、という脅し。実際、河口湖方面(南)はヤヴァい感じになってきていた。構わず進む。

採石場の中を通るのだけど、ここまでは左側(南)が怪しい雲行きだったのが正面方向に変わってきた。iPhone で気象レーダーを見ると丁度雨雲と雨雲の隙間を歩いているようだ。幸い直射日光が無くなって心なしか歩きやすい。

1417 記念の100km 標識だったのだけど、ここでついにパラパラと来だした。前方のローソンへと駆け出すMさん2人。元気だ。オイラは少し脚を早めながらついていく。
初狩駅前のローソンに入って涼をとりつつ外を見ると本気で降り出した模様。「でも、雷なってないし、大したことなさそうですね」なんて話をしていたら

斜向かいの民家の雨樋から水が溢れ、排水溝の入口は渦を巻きエライこっちゃ
ローソンの軒先にいたのだけど通過するダンプの跳ね上げる水が飛んでくるので再度店内に逃げ込む。ここで断念して初狩~笹子を次回に回すかどうか、でもどちらにせよ次の上りの各停は30分後まで来ないのでしばし休息。
そもそも夕立を回避するために早めに出たのに、後1駅で豪雨に遭うとは。「あのオヤジにやられた」と大月の菓子屋の主人に恨み節である。「でも、この後30分歩いてたら休むとこ無いんじゃないですか?」と30分引き留められたことを再評価する声も。

結局20分ぐらいだったか、ゲリラ豪雨とは良く付けたもので雨は上がった。心持ち気温が下がったか。湿度は高め。

1451 初狩駅の貨物用引き込み線。この近辺には大きな採石場があったとかで専用線があったのだとか。ターミナルの線路部品ってガキの頃 Nゲージで欲しくってなぁ。買ってもらってすぐに曲がってしまって残念だった覚えが。


「かんべ」はよく見るけど「ごうど」は初めて

1507 だいぶ水稲が目に付くようになりました。そして、何とこの辺りの路面は完全ドライ。雨降らなかったっぽい。やっぱ Spa weather だわー、ってことじゃなくて「ちくしょー、やっぱあのオヤジに捕まらなきゃ雨に遭わなかったんじゃねーかー」と再度恨み節


ジオラマみたいに斜面を走っていくのよな

1522 旧道を行こうということで急な斜面を登ったところが道がない。「ここから直角に曲がってるんですがねぇ」なんていいながら道を探してさまよい歩く。足下は腐葉土の上に枯れ葉が乗って踏み込んでも返りが無い。あたしゃ右足の痛みが治りきってないのでテーピングで親指に力が入らない状態でして、カメラをリュックにしまって気合い入れて尾根まで直登しましたよ、ええ。木の幹握りながら。

で、登ったはいいけど降りる道が見つからない。見つからないというか旧道があるはずの方向は断崖絶壁。レミングスならみんなで集団自殺。スペランカーなら秒殺。プリンスオブペルシャならギリで大丈夫か。
何せ元々道じゃないところ登ってるから仕方ないんだけどね。で、彷徨って開けたと思ったら

6万6千ボルトの鉄塔。「ってことは保守用の道があるはずじゃね?」と適当に下っていくと何だか細道があって何とか20号まで降りることが出来ました。降りる途中で膝を岩にぶつけて静かに苦しんでいたのは皆には内緒だ。
降りたところは登ったところと100m 離れてるかどうかというガッカリ感。これで20分ほどロスしたはず。


1541 降りてすぐ

どう見ても悪戯としか思えないこのクオリティ。「伝説の立石坂の立石」って誰だよ?と暴走族か何かの手の込んだ悪戯だと思ってたんだけど、帰ってから調べたら本当に伝説があって、老婆?が杖に使ってたという2mほどの岩が立っている場所がこの辺にあるんだと。だから何だと言われたら別に何でもない。伝説の詳しい内容も知らない。「わたしたちの大月」とか「私たちの山梨」とか習ったら出てるのかも。

1618 少し旧道を歩いて又20号に戻ったところ、クラクションを鳴らしてハザードを出して止まる黒いトヨタ車。「誰かの知り合いか?」と思ったら車から出て来たのは何と大月の菓子屋の主人!! (カオス その4)
わざわざドア開けて(あぶねーってば)「さっきはどーも」なんて声をかけられて、20号に出てくるタイミングがもう少し遅ければ逢うはずも無かった遭遇に驚愕。っていうかもう店閉めたの?と更に驚く。

1630 笹一酒造。出発前は時間があれば試飲でも、と思っていたけどそれは15時笹子着予定の話。菓子屋と謎斜面で1時間以上失った今は華麗にスルー。なんか急に行っても蔵見学できますよ、みたいなことが書いてあったが

なんでこんなもん飾ってあるのか分からない。こんな酒蔵初めて。てか正直酒蔵としての魅力は下がるよね。ネタ的には面白いけど。後、世界一の太鼓っつーのがこの横に。これは真面目に大月市だか市の有志だかが作ったものの置き場所に困って笹一酒造に置かせてもらってるとかいう計画性0な話。

こんな馬鹿っぽいところだけど創業者は元山梨県知事で金丸信が初当選の頃には山梨で政争があって…みたいな話があるんだとか。息子が数年前まで知事だったらしい。天野さん。

その後、みどりやの笹子餅を求める。販売所には人がいなくて向かいの工場のオバチャンから買うというトラップがあったのだけど、無事クリア。5個入り410円。
元々は笹子峠の茶屋で力餅を売っていたのだけど、トンネルが出来てから峠を人が通らなくなったので日本橋の榮太樓だかから職人を呼んであんこ入りにして駅で売り始めたんだと。今では笹子駅も無人駅なので甲府駅とかあずさの車内のお土産として売られてるんだとか。ただほとんどが10個入りで5個入りを売っている場所は限られるんだそうな。何のこっちゃ無い、草餅にあんこが入った一口サイズのものでしたが、昔の登山で甘いもの、って時にはいいのかもね。

笹子駅前には大きな石碑がありまする。 笹子隧道記念碑っつーことで明治35年に笹子隧道(トンネル)が完成したことを記念したもので陸軍大将伯爵桂太郎の書なんだとか。舞鶴公園から持って来たって書いてあるけど、舞鶴公園って甲府の舞鶴公園だよな。なんでそんなとこに笹子の記念碑が有ったのか謎。
このトンネル完成当時は東洋一の長さ(4,656m)だったそうで、昭和40年の新笹子トンネル完成後、今は中央線下りとして利用されております。新トンネルが上り用。

1639 目的地到着。おつかれさまでした。次の上りが47分発、これを逃すと20分待ちなので、さっさと着替えたり顔を洗ったりしてホームへ。ちなみに無人駅。券売機とSuicaの改札以外何もない。程なく来た各停に乗って2駅。大月から車で帰る山梨組の方々とお別れ。


高尾で特別快速を待つのに20分弱。八王子から浴衣が大量に乗ってきたが立川で降りた。この日は八王子、立川とも花火大会が有ったようだが、立川の方がいいんだろうか?少なからずカポーもいたけど、個人的には浴衣の彼女と花火大会というのはZ軸の無い世界の話でしかない。え?ううん、何でもないの。

そのまま1時間ほど揺られると今度は新宿からいかにもアフォ頭の良さそうな女子4人が浴衣で乗ってきた。揃って茶髪にシルクドソレイユばりの目力メイク。なんか八王子からの浴衣女子の方がずっと魅力的だったなぁ。今度は隅田川花火か。ご苦労なこって。
いつからか花火の魅力を人混みの鬱陶しさが上回るようになってしまった。着席出来ても帰り道がすごい混雑だったり。どうせならコミゴミして小さい玉しか上げられない都心のものより、大玉の上がる地方のに行きたいかなぁ。
そんなことを思いながら19時過ぎに帰宅。風呂にゆっくり入ってから新政の生酒かっくらって寝たのでした。

何となく一番つまらなそうに思っていた藤野~笹子をクリアしたので先が見えて来た気がする。元々小仏と笹子は越えてみたかったから。今考えると東府中~高尾が一番面白くなかったかなぁ。

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2010年8月 2日 (月)

甲州街道 第6話(前)

今回は鳥沢から笹子までの約20km。何もこんな暑い時に歩かんでもええやないか、という話もあるが笹子峠は秋になると熊が出る、という笑えない話があるので強行。が、暑いのみならず、今回抜ける大月市はこの時期毎晩のように雷雲が発生し大雨が降る。道路が通行止めになり、中央線が止まるレベル。
それは困るということで、いつも10時出発だったのを9時出発にして早めに終わりましょう、と。今思えば11時半出発の明大前って何だったんだろう…(遠い目

今回も写真多め、かつネタ多めで長くなると思う。

7時に家を出て例の如く中央線で向かう。今回は大月行きなんて素敵なものをツモれなかったので高尾行き。ほとんどのハイキング姿の客が高尾で消えるのを横目に中央線各停に乗り換える。なんか急に女性の化粧っ気がなくなった気がするが、こんな朝早くに中央線下り方面って何なんだろ?部活の学生っぽくもないし。
高尾以降、正確には相模湖以降の沿線の景色には妙に愛着がある。ああ、あそこを歩いたな、あの坂を下ってきてここに出たな、など。

0849 鳥沢着。まだ山梨組は到着していないようだ。

駅前でラジオ体操するハイキング姿のオッサン達を見ながらぼーっとするが9時になっても誰も来ない。「あれ?鳥沢だったよな?違ったっけ?」と妙に不安になってAさんにメール。すぐに電話があって高速が事故渋滞で1本遅れるとのこと(車で大月まで来て電車で来ると)。0912無事に合流。スタートです。


道の向こう側をパンケーキで撮ったのを拡大したので…


今回もNさんの編み笠でお届けします
道標に勝沼までの距離が登場

1008猿橋。なんのこっちゃない橋に見えるんだけど日本三奇橋の1つなんだそうで。

下から見るとなるほど変わっている。何でも急流とか高いところにかけるために刎橋(はねばし)と言って、両岸の崖に穴をあけ、そこに材木(刎ね木)を突っ込んで、その上にさらに刎ね木を出して、と繰り返して架ける構造なんだと。刎ね木に屋根がかかってるのは下の木が腐らないように雨避けだとか。
江戸時代から名勝らしく、この近所だけは栄えていた。

ここで満を持して New Item 冷えピタボディ用を取り出す。首筋(頸動脈)、脇の下、股関節辺りがお勧めとパッケージに書いてあるのだけど迷わずキワモノの股関節へ。少し内股辺り、大腿動脈の辺りに貼ります。「うほっ」と声が出るほど冷えるけど、動脈に貼ったからどっか他の部分まで涼しくなるかというと謎。涼しいのかな。涼しい気もする。何せ少なくとも局所的には涼しいけど、歩いている途中にはがれてきてズボンにくっつこうとする。まぁ動く部分だから仕方ないけど。

前回ぐらいから頻発する馬頭観世音の碑。何となくヴィシュヌ関係だったよなー、とうろ覚えだったのだけど、調べてみると街道筋にある馬頭観音の碑は、昔街道を通っていて斃れた馬の供養塔なんだそうで。なるほど。この後も何カ所か立っていた。
ちなみにそもそもの馬頭観音は密教に於ける観音菩薩の化身で畜生道担当なんだそうな。畜生道に迷う衆生に教えを授けて助けるんだとかなんだとか。


1039 桂川。今日も良い天気。


夏っぽい。いかにも。

1050 東京電力駒橋発電所。右に見える穴は嘗て水圧鉄管が通っていた跡なんだそうで。実は明治40年に東京電燈がここで水力発電を行い、早稲田で変電して麹町に送電するのに成功したんだとか。気の遠くなるような話です。東京電燈は後の東京電力、この頃電球作ってたのが今の東芝な。

1055 第五甲州街道踏切で足止めを食らう。中央線86K260Mとのこと。新宿からの距離かな。
踏切が鳴り始めてから2分ぐらいたって通過したのは3両編成の各停。何とものんびり。

1109 岩殿山が真横に見えてくる。ここは鎌倉時代以降この辺りを治めた小山田氏の居城で遺構が山頂にあるそうな。同行したMさん(Mさん2人いるんだけど面倒なのでMさんにする)は登ったことがあると。なるほど要害といった感じの岩が剥き出しの山。
ちなみに武田勝頼は新府を捨てた後、真田昌幸が群馬方面に迎えようとしたのを断って、小山田信茂の岩殿山城を目指したのだが信茂の裏切りにあって已むなく天目山を目指すことになるのである。勝頼は信茂の迎えを待って笹子峠の向こう駒飼で1週間待っていたけど迎えが来なかったとか、一説には笹子峠を越えて小山田の軍勢が攻め寄せたとか。
まぁ、デレツンです。「うちに来ない?」って誘っといてホイホイ行こうとしたら「あんたなんか入れてあげないわよ!」というヒドイ仕打ち。


1119 大月駅。富士急行の車輌がいます

ちょっと休憩しましょうか、ということで大月駅をちょっと過ぎた路地っぽいところの日陰で休憩。これが料亭の前だったんだけど「昼飯どうしますかね」なんて話をしていたら、すーっと車が来てオッチャンが降りてきた。どうやら料亭の人なのかな?「ちょっと車に水掛けるんで、そっちに撥ねたらごめんね」なんてところから会話スタート。

この向かいの菓子屋はね、まだ主人は60ぐらいだけど山梨じゃトップクラスの腕前でね、京都に修行に行ってたんだよ、ここに有職って書いてあるだろ、有職ってのは京都で認められた菓子屋しか付けられないんだよ(実は微妙に間違ってる)、だとかなんだとかやたらと菓子屋の紹介をしてくれる。あんた料亭の人だろ?料亭の自慢じゃなくて菓子屋の自慢してどうすんの?って感じ(カオスその1)

そこの入口入って右側にね、姫路の博覧会に出したときの菓子で作った造花みたいなのがあるからね、ちょっと入って声かけて見せて貰えばいいよ、ほら、とやたら勧めるというか、見に行かないとオッチャン許してくれそうにないので付き合いの良いAさんが暖簾をくぐる。オイラは外で待ってたんだけど、なんだか今度は菓子屋の中でAさんがトラクタービームにキャプチャされたっぽいので救助に。ギャラガ的なことね。ほら、助ければデュアルファイターになれるでしょ(分からない人はお爺ちゃんに聞いてみよう)

なるほど見事な細工です。造花だって言われたら信じるね。

こう言っちゃ何だけど、外から見るとちょっと古そうだけど何でもない町の菓子屋だし、パンとか書いてあって和菓子っぽくもないし、中に入ってもヨーグレットやら袋菓子やら置いてて至って普通。ただよく見るとそこかしこに賞状があったりして。
で、今年62だという主人が出て来てAさんと話してる。で、またこのご主人、話の着地点が見えないままボルテージが上がって来て何だかんだと話を。大月市の扱いがヒドイ、小川宏ショーって知ってる?(知ってるけど知ってると言ったら面倒そうなのでスルー)露木茂がアシスタントだったんだよ、渡辺謙がペーペーの時に菓子職人役の指導した、葵祭の話、花押の話、とらやの話、その他諸々。結局これが落ち着くのに30分近くかかった(カオスその2)。いや、話自体は興味深かったんだけどね。話の内容は割愛。聞きたい人は行って下さい。大月駅からすぐ。
大月木村屋(山梨県|和菓子店)のスクロール地図・詳細ページ - goo タウンページ

ちなみに上の写真のものは姫路の菓子博に出したもので2年前に作ったんだとか。ほとんど砂糖なので腐ったりはしないけど色は着色料なので褪せてくるんだと。曰く、紀宮様が4つの時に東宮御所に呼ばれて細工をこさえたんだけど、こういうものは壊れやすいってのは宮内庁の方でも知ってて2つ作るわけ、片方壊れても大丈夫なようにね、その時納めたのと同じのがまだ上にあるよ。もう40年近いけどまだ大丈夫だね。少しだけカビが生えてるけど。でもどれぐらい持つかっていうと、これは作ったときの気合いの入りよう次第みたいなもんなんだよ、いや笑うけどね、そんなもんだよ。

話が落ち着いたところでMさんが、ドーナツ下さい、と。まぁ手ぶらで出るわけにもいかんだろうと。そしたらご主人、「いや、それ実は金曜(昨日)作ったままなんだよな、今日は暑くて仕事する気にならないし、お金取れないからどうしてもっていうならあげるよ」、と。意地でも金を取らないっぽいので、Mさん負けじと「じゃあきんつばください」というと「それは疲れてるから売れない」。どうも作って時間が経ってるからダメなんだそうな。本当に売ってくれなかった。

結局、ドーナツだけ袋に入れて頂いて「お茶も出さないで悪かったね。また話聞きたけりゃ来てくれよ」と言われて退散。もうね、カオスその3ですよ。確かな腕の持ち主なのは間違いなさそうだけど、あのご主人に本気を出させるにはどうすればいいんだろう?暑くない季節ならいいのかな。非常に不思議な菓子屋でした。いや、いい人でしたよ(急場の凌ぎ的フォロー)。

菓子屋で30分、料亭のオッチャン入れると40分以上費やして移動再開。
とりあえず昼餉をしたためねば、街道沿いのガストと藍屋、どっちにしますか?ということで涼しそうなメニューのある藍屋へ。でも結局オイラは朝食をまともに食べてないのでハンバーグ定食にビール。ビールを頼んだら店員が少し驚いた感じで「お車ではないですか?」と。あぁ、ここまで歩いてくる馬鹿いねーか。「いや、歩いてきたので大丈夫です」ということでオイラだけ生ビール(小)を頂く。最高。

すっかり涼んで外を見ると妙に風が強く吹いている。これは危ないかも知れないねぇ、というところで13時すぎに店を出たのでした。(菓子屋に時間を割いたので続く)

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2010年7月12日 (月)

甲州街道 第5話

金曜昼まで、土曜の天気予報はかなりヤヴァそうであった。これは「もうやめとけ」という天のお告げかもしれんね、と。藤野って何よ?江戸から離れすぎだろ。今回流れたらもう参加は見合わせようかと密かに思っていたのでした。金曜夜も土砂降りだったし。

土曜の朝起きたら快晴。なにこれってぐらい快晴。仕方がないので出かける。8時半に家を出て四ッ谷駅で大月行き快速に乗る。中央線快速なんて高尾行きだろうが豊田行きだろうが何だろうが関係なかったんだけど、ここへ来て大月行きは神のような存在。1時間ほどで高尾、さらに13分で藤野。前回、小仏峠を越えて1日がかりで制覇した区間は13分である。


大月行き@藤野駅


何故か賑わってる藤野駅前

ということで藤野駅10時just着。観光案内所のトイレに寄ってからパーティに合流。今回のパーティは5人だが、何ということでしょう、東京1人+山梨4人という編成。東京1 がオイラね。俺様はどこから来てどこへ行くのか。アドルの気分である(分からない人はイースの2か3辺りをやってみよう)

今回、写真の選別が面倒くさくなったので写真多めで。


スタートしてすぐ。思えば遠くへ(ry


良すぎる天気


いきなりの山道。涼しい


出発から30分。良い眺め

さて、これまでは主催者のAさんが iPod touch に入れてきた地図を頼りに歩いていたのだけど、今回から新兵器登場である。


そんなときも大丈夫、iPad ならね

Nさんの iPad でひとしきり地図をみたAさんの名言。「iPad 使いにくいなぁ
その後も案外 iPod touch の方が重宝がられていたり。てか iPad って持って歩くにはちょっと重いよね。あ、いや、持って20km歩くにはちょっと重いよね。

1057 諏訪関跡。武田氏が築いたという関所だが、江戸時代には女性が江戸側に入る際に手形改めを行ったという。明治2年に廃されて、建物は王子の飛鳥山の渋沢栄一邸に移されたんだと。現在の飛鳥山公園の中の旧渋沢栄一邸は当時の敷地の3分の1という話で、諏訪関の建物はどこに行ったか分からないそうな。
ちなみに諏訪というのは諏訪市や諏訪湖で有名だが元々地名ではなくて諏訪大社と諏訪氏が元。この辺りから急に諏訪神社というのが増えてくるのだけど、これらは諏訪大社を勧請したもので、それに因んだ地名ではないだろうか。諏訪氏は諏訪大社の祭神であるタケミナカタの子孫を称しているのに曹洞宗という不思議な氏族で、そのせいか今回歩いたコース沿いには曹洞宗の寺院が多かった気がする。飽くまで気がするだけで統計取った訳じゃないよ。


1日1便のバス。通過予定時刻表というのが弱気

1135 上野原の街に入って74km標識。少し鄙びているが栄えている。前方を歩くうっかり八兵衛的な笠の男は気にしないで頂きたい。

1153 鶴川を渡る。昔は橋が無く渡しがあって、先の諏訪関の管轄だったそうな。イワナやアユが獲れるらしく釣り人が何人も川に入っていた。涼しそうだなぁ。
この鶴川は下流で相模川に合流する。町田にある鶴川は鶴見川に由来するということで無関係。
ここから中央道沿いに移動する。


日向のアスファルトは暑い


鉄塔っていいですね


アンテナっていいですね

1255 渋滞のメッカ談合坂SA(下り)を裏山側から見る。中々無い体験。この後、徒歩でSAに。この先死ぬまでに徒歩でサービスエリアに入る事ってあるのかしら?
結構混んでいたんだけど、13時に談合坂下りってこの先どうする人達なんだろう?長野へ行って1泊とか?
実は上り側のSAの方が施設が充実してるそうなんだけど、談合坂は下りと上りの場所がかなり離れているので、時刻とロケーションを考えて下り側。
このくそ暑いのに熱いものとか辛いものとか食えるか、ということで牛モツカレー800円を食す。期待に反して辛くも熱くもなかった。30分ほどで食べ終わって13時半頃東京側の入口脇から脱出。このSAは甲州街道の道中ではないので少し戻らねばならぬ。


何でもないけどタケミカヅチに惹かれて

この辺りからアスファルトを歩いては山道を登り、下り、アスファルトを歩き、ということを繰り返す。
もう何だか無限ループのようなのだけど、実は朝から一緒の方向に歩いているオッチャンがいて、このオッチャンと抜きつ抜かれつ(基本的にこちらが速いが飯食ったり旧道の山道歩いてる間に抜かれる)していて、逢う度に「いや、若いね」と同じ事を言われるのでもう本当に while(true){}; って感じ。


伝わるかどうか分からないけど結構怖い

確かこの辺りに「座頭転がし」という碑があって、休憩したのだけど、その時に背中を蚊じゃない何者かにやられて今も痒い。ガッツリ固く腫れてるの。ムヒ塗りにくいしムカつく。
「座頭転がし」というのを見て、姥捨て山の話とかしてたんだけど、別に人為的に転がした訳じゃなくて、目の見えない人が同伴者の声を頼りに歩いていたら、曲がりくねった急坂だったもんで真っ直ぐ歩いて転がり落ちたという話があるとかないとか。


前夜の大雨で少しぬかるみ気味


謎のアトラクション
ああ、笠被った人は気にしないで下さい

1504 日本橋から二十一里、20番目の恋塚の一里塚。日本橋から82.4km なんだそうな。一里(4km弱)ごとに塚を気付いて榎などを植えたというが、塚が残っているのを見たのは始めてかも。今回の道中も3つ4つ一里塚があったけどみんな看板とか道標だけ。これが江戸時代の原型をとどめているのかどうか知らないけど。しかし「恋塚」っていい名前ですね。ほら、あたしってロマンチストじゃないですかぁ~


多くの紫陽花はもう萎れてたけどたまに綺麗なのが

1511大月市に IN。そうそう、上野原は山梨なので、神奈川から山梨に入る感動的な瞬間があるかと思ったらいつの間にか入ってたのよね。ま、そんなもんです。大月は当然山梨。
何となくの山梨の感想は「参議院選挙の候補者が5人」「自販機はダイドーが多い」「ダイドーの自販機にはポイントカードがついている」。ポイントカードって東京の自販機にもあるのかなぁ?今度気にして見て見よう。
あ、そうだ、山梨はハローキティ好きとの話が出たので調べたら、サンリオの前身は株式会社山梨シルクセンターなんだそうな。元は県の外郭団体で創業者は県職員という話も。
サンリオ | サンリオのあゆみ
何でシルクなのか分からないが、シルクと聞くとミヤコと連想する俺様はやっぱり関西人だ。

この後も無限ループを繰り返し、旧道を歩いているところに何やら作業中の夫婦。Aさんが「ここ甲州街道であってますか?」と聞くと「あってますよ」。で、すぐ脇の石碑をさして「ほら」みたいな事を。見ると「南無妙法蓮華経」と彫られている。江戸時代に千葉から甲州街道を歩いてきて行き倒れた人がいたらしく、結構な身代の持ち主だったのか後から親族が来て石碑を建てたものなんだとか。それを聞かされてどうすればいいのかと。
ここの奥さんが話ついでに井戸水をどうぞと使わせてくれて皆ペットボトルに汲んだんだけど、オイラはダイドー自販機で買ったスポーツ飲料があったのでな。

この辺りからガンガン下る。下る途中にオバチャン2人組に「あらまぁ四方津から歩いてるの?」と言われて「えっと今日は藤野からかな?」と言うと「あらまぁー」と言われた。「あらまぁ」って何歳ぐらいから使用するのかしら。


1523 この旅初めての富士山。写真だとうっすら


随分遠くに見える高速道路


に10分後に着く

何せ凄い傾斜で一気に下るもので、足首から下へのダメージが半端無い(膝は伸ばさずに降りるとダメージ軽減できる)。ここまでに蓄積されたダメージもあって、みんな小走り気味。なんつーかブレーキかけるのが辛い。
下りに入る前には「これだと鳥沢に16時ですね、もう一駅行きます?」なんて言ってたのに、この下りで誰もそんなことを言わなくなった。


高速の次に中央線


ラストスパート

甲州市と甲府市が区別されるところまで来たんだなぁ。前にも書いたかも知れないけど、山梨県には他に甲斐市と山梨市と中央市があるそうで、さてどれが県庁所在地でしょー?

1602 予定通りに鳥沢駅。ろくに打ち上げを出来そうな店もないので、ここで解散。
電車は1時間に2本程度。次まで30分。下りは乗ろうと思えば乗れた時間だったんだけど、皆様待って下さった。数分して件のオッチャンがやってきて「いや、若いね」。
汗をふいて着替え、コンビニで発泡酒を買って飲む。喉が渇いて水のような勢いで飲んでしまった。

立川行きに乗って帰る。東京に近づくにつれ客層が変わるのが面白く、自分の存在が不思議に思えたのでした。「俺、なにやってんだろ?
次も行くのかなぁ。なんかここまで来ると貧乏性発揮というかなんというか。ここまで来たんだから、とディアゴスティーニにハマる人の心理が少し分かるような気がしてきたのでした。

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